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空気を読みすぎると空気になる

人間は、大人数での会話が得意な人と苦手な人の2種類に分類される。

僕は大人数での会話が大の苦手だ。大人数で上手く会話に馴染んでいる人を見るたびに、自分もそうなりたいと羨望の目で見ている。あの人のようになりたいと思った回数はもう数え切れない。自分との違いはなんなのだろうか。上手く会話に入る人は会話の引き出しが多い場合もあるが、自身の体験談や考えを話している場合が多い。

大人数での会話が苦手な僕は、自分がどのタイミングで会話に加われば良いのかを悩んでいる間に次の会話が始まっている場合が多い。そこには場の空気を乱したくないという思いがあるのだけれど、乱すどころか空気になっている。最近の悩みはもっぱらこれだ。どうにかして解決したい。

たとえば大人数で飲みに行ったとする。僕は大体テーブルの端っこの方でお酒を飲んでいることが多い。いつだって誰かの会話には発見がある。自分が歩めなかった人生を歩んできた人の話は面白いものだ。会話に加わりたいとは思いはするものの、これを言ったらまずいかな?とか、ここで自分の話をするのも申し訳ないとかあれこれ考えている間に会話は次の話題へと移っている。そして、帰り道にあそこはこうやって会話に入れば良かったと一人反省会を開く。その甲斐もあって、少しずつ会話に入れるようになってきたが、まだまだ物足りないと感じている。

先に断っておくが、会話に入りたくないわけではない。輪の中に入りたくても入り方がわからないのだ。これまでの自身は相手の顔色を窺う人生を送ってきた。怒られないためにどのような振る舞いをするか。嫌な思いをさせないために何をしないか。そんなことばかりを考えながら生きてきた結果、他人に気を使いすぎる人間になった。

空気を読む行為は時に有効だけれど、いきすぎた場合は周りの人に気を遣わせているという事実を忘れてはならない。何も話さない人は、相手に楽しくないのかもしれないと思わせている可能性がある。その状況が何度も続けば、もう誘ってもらえないかもしれない。それぞれの時間は有限で、楽しくない人よりも楽しいと思える人と過ごしたいと思うのは当たり前の話だ。時に誰かが会話に混ぜてくれる場合もあるが、他力本願のままでは成長できないし、その人がいなければ誰とも話せなくなってしまうのは本末転倒である。

とはいえ、31年間の人生で染み付いてきた悪しき習慣はすぐにはなくならないものだ。一刻も早く空気を読みすぎる人間から脱却したい。自分の言葉が時に相手を傷つけるかもしれない。だが、痛みから何かを学び、実践に活かすを繰り返さなければ、成長できないのも事実だ。トライアンドエラーを繰り返して、少しずつ空気から脱却していきたい。

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