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圧倒的な熱量とやるせなさ ー『どうで死ぬ身の一踊り』を読む


☆☆☆★★ 一読して満足

ネタバレ注意

西村賢太著『どうで死ぬ身の一踊り』を読みました。

大正時代に極貧の生活を赤裸々に描いた長篇小説『根津權現裏』が賞賛されながら、無頼ゆえに非業の死を遂げた藤澤清造。その生き方に相通じるものを感じ、歿後弟子を名乗って全集刊行を心に誓いつつ、一緒に暮らす女に暴力を振るう男の、捨て身とひらき直りの日々。平成の世に突如現れた純粋無垢の私小説。

本書説明より


大正時代の作家、藤澤清造氏に自分自身を重ねて、取り憑かれたように藤澤氏に関する活動をする様子と、一緒に暮らす女とのやりとりが同時進行で語られている。

読後感はやるせない。


著者のプライベートが赤裸々に描かれていて、藤澤清造氏に関することは這ってでも敢行するエネルギッシュさ。

一熱狂的な読者なのに寺の住職、副住職に頼んで藤澤氏の古くなった墓標まで貰い受けてしまってる。

また著者は強運の持ち主なのか、かなりレアな藤澤氏のコレクションを無料同然で貰い受けたりもしている。


一方で、その熱量が一緒に住む女に対して負の形で向けられて、ちょっとした言い合いで手をあげ足蹴にしてと。

それでいて女が家出同然で故郷に帰った途端に狼狽えて、必死で女に懇願し、泣いて詫び、なんとか戻ってくるようあの手この手を使う。

藤澤清造氏に対してコレクターとして熱烈ファンとしての圧倒的熱量と、数少ない親密な相手(一緒に暮らす女)に対しての激昂DVっぷりのコントラストがすごい。どちらも著者から湧き出てくる熱量が発端なんだけど。

典型的なDVの構図が描かれています。

DV加害者側の「もう手を上げない」はほぼ無理な約束ですね。


著者の私小説とあってその振る舞いから狡猾さまで赤裸々に書かれていて清々しい。

自身もここまで書いたら反感買うだろうなって予想はついただろうけど、

そこはタイトル通り「どうで死ぬ身の一踊り」で、死に物狂いで一花咲かせたいって意気込みだったのか。

とにかく圧倒的な熱量、熱量、熱量で、

著者は個人なのにこちらの熱量まで吸い取られるような読後感。





ちょうどKindleのポイントセールをやっていて西村賢太氏の作品を3冊購入。西村作品ははじめて読んだのでこのチョイスでよかったのか。本も音楽も迷ったら処女作から手にとるクセがある。最初の作品ってアーティスト渾身の思いがパンパンに詰まってることが多い気がする。


西村氏の作品から感じるパワーって銀杏BOYZのライブDVDをみた衝撃になんとなく通じる。僕がみたライブはもう音楽じゃなくなっていてボーカルの峯田氏がマイクをくわえてひたすら叫んでいて、でもパフォーマンスとして成立していて場がひとつになってエネルギーがうねっている。うわわわあああなんだこれはって衝撃を、本書を読みながら思い出しました。


銀杏BOYZのそれとはまた違う狂乱のパワー。4ピースバンドのメンバーそれぞれが好き勝手に暴れまくっている感じで、でもそれらが渦となってヘッドフォンで聴いていても全身鳥肌立つくらいに突き刺さってくる感じ。ライブ直前のゴッドファーザーのテーマ曲の数秒の緊張感に心臓がとまりそうになる。


ロウイエ監督の作品。どちらも根源的、原始的なリビドーがこれでもかってくらい艶かしく描かれている。もうそれを表現したかっただけなんじゃないかってくらい。撮る側と演者それぞれの気合いに圧倒されます。


つまるところの岡本太郎氏の爆発に通じる。生きものとしての爆発力。せっかくならクリエイティブに上へ上へと昇華したい。そんなことを岡本氏がきいたら一喝されそうだけど。



うちの子ノエルにちゅ〜るをあげます。