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濃密な半生なき自己分析の虚しさよ。 ──始まりの話、その9。

ありがたいことに、近頃では大学の講師として、キャリアデザインの授業を定期的にやらせていただけるようになりました。1on1 college(高校生・大学生のパーソナルメンター)を始める前から、中学校、高校での職業講話に行く機会はありましたが、ほとんどの学校で、まず生徒の保護者を話者に迎えるので、話者は偏っている印象でした。たとえば、私立の中学や高校であれば、その親は大企業のサラリーマンが多いため、業界や職種は違えど、基本的には似たような話でした。みんなそれなりの大卒で、就活をして、家族を持って、子どもを私立に通わせている。同質な集団です。

なぜわたしが大学に呼ばれているか。それは、いろいろな職業を経験して、キャリアデザインについて俯瞰的に話せることが、需要のひとつだからだと気づきました。「わたしのキャリアはこうだった」と、その人の価値観に基づいて語られるキャリア論は本来、どこまでいってもone of themでしかありません。学生たちのキャリアデザインへの影響もあまり感じられません。職業講話の限界です。


振り返るに値する、濃密な半生はあるか

大学の講義で、特に就活を意識した大学2, 3年生から反響が大きいのが、自己分析についての話です。就活は自己分析から、だと思っている人が多くいますが、自己分析が活きてくるのは自分の半生が濃密たればこそなのです。自己分析の意義は否定しません。しかし、それをしなきゃいけない段になって焦ったところで、これまでの人生が濃密でなければ、時間をかけていろんなツールやワークショップを利用して自己分析しても、あなたにとって大切なものは出てきません。参考になる材料が乏しいからです。

これは、かつて採用に携わる中でわかったことでした。判断基準や幸福の所在について答えてもらっても、その根拠が脆弱なんですね。濃密な学生生活、つまり何かにワークハードになる状態があったかどうか。その量が質も生むし、その質と量が糧になる。何度も言っているように、その濃密さにおいては何をやっているかよりもどれくらいやっているかが重要になってくるのです。


わたし自身は学生時代、長らく演劇をやってきましたが、演劇人になりたいと思ったことは一度もありません。しかし、無駄だったかと聞かれたらまったく無駄ではなくて、演劇からチームでつくることの大事さや、人ひとりひとりの価値観の違いを認めること、リーダーシップを取るおもしろさ、いいチームをつくることの難しさ、それを超えたときに生まれるクリエイティブも知りました。自分にとって大切な価値観も、それを大切にするスキルも育めたと思います。

でも、それはサッカーからも学べたかもしれないし、ボランティア活動からだったかもしれません。何をやるかは本当になんでもよくて、自分がアツくなれる場所であれば、学びは得られるのです。



もうひとつ、毎回反響が大きいのは、この日本における、強い同調圧力についてです。同調圧力が悪いというよりは、同調圧力を自然と受けていることは自覚したほうがいいという話をします。

戦後の日本は高度経済成長で立ち上がった成功体験が強すぎて、いい大学に行って、いい会社に行った人が幸せになれるという考えをいまだに引きずっていて、島社会、村文化で、みんなが同じであることが是とされる雰囲気がある。
そういうバイアスがかかっていることを意識しないと、自然とまわりと同じかどうかに気を使うようになっていく。それを意識した上でそうしているのと、意識しないでそうしているのは違うという話にも、頷く人はわりと多いです。

そんな同調圧力下で、何かに没頭する学生生活を送るということ自体が、何かとんでもない難易度になってきているように感じています。加えて、人間を自由にするはずのインターネット(主にSNS)で、学生はより強い同調圧力すら感じています。なんということだ。


(続く)

※これは、高校生・大学生のパーソナルメンター「1on1 college」がどうやって生まれたか、インタビューしてもらった内容を文字におこしたものです。

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