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リアルな祝祭空間の必要性〜ロッキン中止を受けて〜

一昨日、ROCK IN JAPAN FES. 2021の開催中止が発表された。

音楽フェスへの興味

自分は行く予定が無かったし、行ったこともないのだけれども、いつも興味はあるフェスのひとつではある。あんまりいろんなアーティストを広く浅く聴くというよりは、深く狭く少ないアーティストを聴くタイプなので、こういう様々なアーティストが集まるフェスはなんとなく行きづらいというか。行ったら行ったで楽しいのはわかっているのだけれども、チケット代を考えるとなかなか参戦に踏み切れない自分がいる。

それでも最近は結構いろんなアーティストに興味が出てきている。
BUMP、米津玄師、サカナクション、Lucky Kilimanjaro、Sano ibuki、etc.
まあ系統としては2パターンに分けられそうだけど笑
好きなアーティストをあげてみるとあんまり幅広くないことがわかっておもしろいな。

BUMPとかについて語っている記事は何個かあるのでよかったらそちらも。

「祝祭空間」

ROCK IN JAPAN FES. 2021中止に際して、総合プロデューサーの渋谷陽一さんがメッセージを出している。
その中に、以下のような文章がある。

「ロック・イン・ジャパン 2021」の開催は中止になってしまいましたが、各地で夏フェスは開催されます。絶対に成功してほしいです。音楽を止めない、フェスを止めない、という思いは多くの音楽ファンが持つ共通の思いです。コロナ禍にあって障害はありますが、あの祝祭空間を私たちは守っていかなければなりません。そんな思いでこの文章も書かせていただいています。いつも最前線で戦い、状況を切り開く覚悟で頑張ってきましたが、今回は思いはかないませんでした。「ロック・イン・ジャパン 2021」にむかうアーティストの気持ち、フェスを楽しみにしている参加者の思い、それを考えると何とも言えない気持ちになります。悔しいです。申し訳ありません。でも私たちはこれからも最高のフェスを作り続けます。今回のことで、その思いはより強くなりました。繰り返しになりますが、これから開催される夏フェスの成功を強く願い、応援したいと思います。

音楽フェスに限らず、コロナ禍にあることで様々な祝祭空間が失われつつある。身近なところで言えば小学校や中学校の運動会や、文化祭なども中止になっているところもある。オリンピックも1都3県で無観客開催が決定された。

非常に残念であることは確かなのだけれども、ここで1つある疑問が。
果たしてリアルな祝祭空間は必要なのだろうか?と

祝祭空間の大切さ、祝祭とは?

バーチャルでも祝祭性を帯びたイベントを開催することができれば、今の時代それに超したことはないんじゃないかな、というお気持ち。
リアルにこだわる必要はあるのかな……?

それでもリアルな祝祭空間に行きたい、と思っている自分もいる。
ライブに行きたい。BUMPやサカナクションのライブに行きたい。
最近ではイスラエル・ガルバンが奇跡の来日を果たした日本公演を観に行った。やっぱりリアルな劇場空間、祝祭空間は映像とは別の素晴らしさがある。

この感覚はなんなのだろうか。
映像作品を創作してみたが、やはり劇場で一本通して踊ったほうが気持ちいいだろうなって思うし、リアルに観客に届けたいっていうアーティストの気持ちは痛いほどわかる。
やはり人は一回性とか、再現性の欠けたものに魅力を感じるのかな。

芸術作品は、それが存在する場所に、一回限り存在するものなのだけれど、この特性、今ここに在るという特性が複製には欠けているのだ。

ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」という本の一節。
アウラを感じる空間こそが、祝祭空間なのではないかと思う。

逆にリアルじゃなくてもアウラを感じさせることができれば、それがリアルにとって変わるものになって、ポストコロナ時代に必要なものになってきそうだなって思う。

とにもかくにも、祝祭空間はなくてはならないとまでは言い切れないけれども、あったら嬉しいし生きる活力になると思う。少なくとも祝祭性を感じて生きている人は多いはずだ。
なんとかして祝祭空間を守る必要性は確かにある。

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