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春の明け方めっちゃ好き。

note145日目。

今となってはもう連続記録ではないのだが、せっかくなのでnoteを投稿した日が何日目なのか記録しておこう。
今まで140以上もの記事を書いてきたのだと思うと、結構達成感あるな。
まだまだこれから。

今日の早朝、散歩をしてきた。
最近寝付きが悪いというか、鼻詰まりのせいで起きてしまう。

アレルギー性鼻炎がまたひどくなってきたなという感じ。
上手くこの持病と付き合って行かなければならない……
耳鼻科に行ってまた薬をもらいたいのだけれど、保険証を再発行している関係で今手元にない。
まあ満額払って後からお金返しもらうという手段もあるみたいだけれども、とりあえず保険証届くまで我慢と思っていたが、そろそろ限界だ。

今日は4時に起きてしまった。

眠い目をこすりながらスマホで時刻を確認した後、鼻が詰まって呼吸が苦しくて再び寝ることは叶わず。
まあ朝活がてら運動を毎日しようと思っていたから、ちょうどいいしやるかってな感じで外に出た。本当はランニングしたいのだけど初日は歩きで。

7時前に外に出たのだけど、日の高さに驚いた。
もう春も終わる頃で、夏が近づいているんだなと思いつつ歩いていく。
それでもやっぱり朝は早いもんで、人の気配がまったくない。
走る車も少ない。時折自分と同じくウォーキングしたりランニングしたりする人。スクーターの駆ける音。

鳥の囀りなんかも聞こえてくる。用水路のせせらぎも聞こえてくる。

嗚呼、自分はなんて孤独なんだろう、とふと思った。

所詮同じ人でも自分以外の人間は他人、わかりあうことなんてできない、すべての人間は孤独なのである……。みたいな、誰でも一度は考えたことありそうな、あるいはとある哲学者が言ってそうなことを考えながら歩いていた。

でも見方を変えれば孤独ではないのではないのかもしれない。

この世はすべて波で構成されている。
聞こえてくる音も波、光も波、自分の身体もその波の中の一部……
そう考えると、みんな同じ存在であって孤独とは言い難く、大きな流れの中の一部に乗っている仲間なんだ。

これは仏教の考えだったような。
そして覚和歌子の詩集でも似たようなことは書かれている。
「ゼロになるからだ」とは、早朝の散歩の中で見つけられるのかもしれない。

「いつも何度でも」めっちゃ好き。

散歩が終わった後に、「春の明け方めっちゃ好き」って思ってTweetしてふと気づいた。

語呂もいいしみんなも使っていこう。

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