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【前編】生きることをやめない。と決めて・・・

北海道に帰ってきて・・・
メンタル不調の療養生活を始めてから2年が経ちました。

僕はずっと、無理をしていたに気が付きました。
ずっとずっと、不安や恐怖に駆られて、
その度に焦って行動したり、考え込んだりしました。

そして、いつも自分を追い詰めていたことに気が付きました。

今回の投稿では、
北海道に帰ってきてから2年間の振り返りを
ここに綴っていこうと思います。


<僕のメンタル不調の経歴>

僕のメンタル不調の発端は高校時代にまで遡ります。
実は高校時代に2回ほど(高校2年冬、高校3年の冬)不登校を経験しています。
大学入学後にもオーバーワーク等によって心身の不調を経験。
大学3年時に一時的に回復を実感するも、大学4年の5月から、進路への不安、家族関係等の心配事が重なり、頭痛や不眠、希死念慮が出現しました。6月には過呼吸や抑うつ症状が出現するなど症状が増悪し、7月に関東の心療内科病院に受診し、適応障害の診断を受けて、服薬治療を開始しました。

そして、2年前の10月に地元北海道札幌に帰ってきたのですが、
2年前の7月に適応障害の診断を受けてから、
10月末に北海道へ帰ってくるまでの
3ヶ月間の葛藤について振り返っていきたいと思います。

<3ヶ月間の葛藤と治療の決断>

僕はすんなりと、北海道に帰って療養生活をすると
決められたわけではありません。
 
当時は大学4年生だったので、
早く進路を決めたかったですし、
治るものなら通学とバイトをしながら
治すことができたらとも考えていました。
(正直、治療に専念した方が良いとわかってはいました。)
 
しかし、心身の不調は増悪していくばかり・・・
どんどん負の妄想が広がっていき、本気で自殺を考えました。
「このままじゃ進学も就職もできない・・・」
大学のキャリアセンターからの(出身大学は就職率100%だったので、正直就職か進学を絶対にしなければならない)プレッシャーが怖かったですし、相談しに行ったら「菊地君の能力なら直ぐに就職先が決まるよ!」と言われてブラック企業だったらどうしようとも思っていました。
 
そうこう考えているうちに、楽しかったアルバイト先にも行けなくなってしまったのを機に、実家のある北海道に帰って療養生活に専念しようと決断をしました。
 

<北海道での療養生活>

安らぎも苦痛も感じた #デイケア通院

正直、人と会うことが怖くなっていた当時。
はじめは、デイケアに通うことを拒んでいましたが、
一人では治せないと痛感し、22年の1月からデイケアに通い始めました。

僕が通っていたデイケアは朝9時から夕方6時までの9時間、
心療内科の療法室の中で、発達及び精神障害の患者さんと一緒に
心理学を学び、自身の疾病理解や行動変容によって治療を進めたり、
サイコドラマという演劇をやったり、たまに卓球をしたり、、、
安らぎを感じていたと共に、対人恐怖というのが和らいでいきました。

しかし、診断を貰うためにも平日は毎日通わないといけなかったり、
どうしても心身が不調でお休みしたいときにも連絡しないといけないなど
デイケアに通うのに、たくさんのルールや規則に縛られるのが
とても苦痛に感じていました。

そんな時に、当時から在宅でも就労ができる職種を望んでいた僕に
就労移行支援事業所という「福祉サービス」という
精神障害を患った人向けの「職業訓練」及び「福祉施設」と出会いました。

※後編に続く

2023年10月31日 菊地 涼介

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