【心理学】「愛」とは
こんにちは。吉田です。
心理に関する国家資格と民間資格を持ち、学校の先生方や障害児施設のスタッフさんへコンサルテーションや研修を行ったり、自分でも直接子どもたちへの支援を行ったりしております。
さて、今日は「愛」についてつづります。
愛ってなんだか漠然としていますよね。
愛ってなに?
恋と愛って何が違うの?
という問いには三者三様の答えがあるかと思います。
私がこの問いに答えるとしたら
「愛とは絆で、恋とは接触の欲求である。」
と答えます。
愛=絆
とはどういうことかというと、これは親子の愛着形成を紐解いていけばわかります。
赤ちゃんは、「•」つまり「点」の状態で生まれてきます。
この世界に生み落とされて、この世界の理(ことわり)なぞ一つもわからないのですが、自分の身体が動くこと、自分自身が存在していることは運動や感覚を通してわかります。
この、世界との結びつきがなく、自分自身(自己)の存在しかわからない状態が「点」です。
そんな赤ちゃんには空腹や眠気といった不快感が押し寄せます。赤ちゃんは泣いて自分が不快であることを発信します。すると、誰かがその不快を取り除いてくれます。
赤ちゃんの1日は
「不快だな」→「誰かが助けてくれた」→「不快がなくなった」→「不快だな」→
の繰り返しです。
この「誰かが助けてくれた」の「誰か」と「自分」との間には、「繋がり」という名の「線」が生まれます。お分かりのとおり、この誰かは「親」であることが多いです。
こうして、「赤ちゃんの不快を取り除く」という作業を何度も何度も繰り返すことで、赤ちゃんと親との間にある「線」は濃く太くなり、それはやがて「絆」となります。
この「絆」のこそが「愛」なのではないかと思います。「愛着の形成」とは「絆の形成」と言い換えられると思っています。
「愛=絆」説にありそうな反論は、
「いやいや、そもそも赤ちゃんのことを『助けたい』と思うことこそが愛なのでは?」
です。
親は子にそもそも愛情がある。だから赤ちゃんを助けたいと思う。そうだろ?という反論。
それについての僕なりのアンサーは
「親が赤ちゃんを助けたいと思うのは、赤ちゃんの生存戦略によるところが大きい。
赤ちゃんには、『助けたい』と思わせる雰囲気や機能が備わっている。だから人は赤ちゃんを助けざるを得ないのだ」
です。
赤ちゃんの顔とか仕草とかってカワイイですよね。この「カワイイ」が赤ちゃんにはあるから人は赤ちゃんを可愛がらざるを得ないのです。
「カワイイ」は能力が備わっていない弱い存在である赤ちゃんの生存戦略で、赤ちゃんは人に「カワイイ」と思ってもらえないと生きていけない。逆に言うと、赤ちゃんは「カワイイ」からこそ生きていけるんです。
この、人が「カワイイ」と言う思いを抱く赤ちゃんの顔の配置は「赤ちゃん図式」と言われていて、この配置を意識してキャラクターの顔の造形を作ると、そのキャラクターを人はカワイイと感じます。
キティちゃんとか、ミッフィーちゃんとかがその図式ですし、最近のピカチュウとかおさるのジョージとかは赤ちゃん図式に合わせて修正が繰り返されていますね。(吉田調べ)
では最後に、先ほど「恋とは接触の欲求だ」と書いたのでそれについて詳しく書きます。
人には性別があります。ここの性別は生物学的な性別だと思ってください。
子どもたちは、赤ちゃんのうちは自分が男の子だとか女の子だとかは知りません。
それが生活を重ねるうちにだんだんと性別のことを知り、自分は男の子、あの子も男の子、あの子は女の子と知っていきます。
この段階は性別について知り始めた段階で、段々と「性別とは外性器の違いによるものだ」などと知識を固めていきます。
知識としての性別理解が済んだら、次は興味が湧いてきます。自分以外の人の体はどうなっているんだろう?知りたいな。見たいな。触りたいな。
この、知りたい、見たい、触りたいという気持ちが「恋」です。つまり「恋」は誰かに近づきたい、触りたいという気持ちのことを指すのです。
人が社会的動物でなければ、「触りたいから触る」ということが許されるのですが、人は社会的動物なので「触りたいけど触っちゃダメ」です。
だから、「あの子のことが知りたい!」と思っても、近づくことや触ることが許されないので、みんなモヤモヤします。このモヤモヤが「恋焦がれ」「恋の病」なわけです。
それでは今日はこの辺で。
吉田でした。
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