比類なき感動の果てに
いつもと違う環境で書いているせいか、どうも小説を書いていてもしっくり来ないので、ちょっとした日記、というか、思考の記録のようなものを。
〈〇〇〉という言葉を、その言葉そのものを使わずに表現しなさい、というのは、小説修行などでたまに見かけます。私も決してこういう表現は得意ではないのですが、
例えば、
運動音痴の少年はいつも持久走でビリでみんなから馬鹿にされていた。持久走なんて無くなればいいのに……。今年の持久走を翌日に控えたその夜も少年は憂鬱だった。うまく寝付けず、頭のぼんやりとする朝を迎えた少年は窓の向こうに中止を予感させる音を聞いた。おそるおそるカーテンを開けるると、少年の顔に満面の笑みが広がり、その手にはガッツポーズが作られていた。
だと、まぁ「雨」を表してみたわけですが、どうでしたか? ちょっとくどすぎだったかも……。
こういう文章、好き嫌いが分かれるところでもある、と思っていて、
おそらく〈もっと簡潔な表現が好み〉と〈テーマや伝えたい言葉は明示しないほうが好み〉は印象的には同程度いるのではないか、と感じています。
私自身は作品にあってさえいれば……もっと有り体に言えば、結局自分が楽しめさえすればなんでも良いのも事実ですが、
ただ……、
後者に、ある種の固さや読みにくさを受ける面があったりもするせいか、ひとによっては何故か〈ブンガクって、分からん〉と敬遠に繋がったりもしている感もあり、作品の好き嫌いはひとそれぞれですが、そこまで来ると「別に文学の専売特許でもなんでもないよ」と言いたくなってしまいます。
何故、簡潔さから逸れようとするのか、ということに対して、(すくなくとも私は)文学性とかそういうのを意識したことはなく、もっと気軽に考えていて、
例えば一冊の本を読んで〈感動〉したとしましょう。ちょっとした〈感動〉じゃなくて、比類なき〈感動〉です。あなたは、それを誰かに伝えたい。
「感動しました!」ではすこし物足りない気がしませんか。
そう(やはり、すくなくとも私にとって)、比類なき感動の果てで激しく揺れ動く感情を表すのは、〈比類なき感動〉しかないはずなのに、〈比類なき感動〉では不十分に感じてしまうのです。その感動がより鮮明に伝わるように、不十分な言葉にできた穴を埋めていくように、
「〇〇というジャンルだからうんぬん」と考えるのではなく、どう表現したいのか。必要に応じて使い分けていければ、
それは言葉を扱うならジャンルは関係なく、
私にとって、そしてあなたにとっての、最大の武器にだってなるのかもしれないなぁ、
と考える、描写が苦手なサトウさんの思考の記録でした~。