うどん屋「大仙庵」にて #文脈メシ妄想選手権


 恥を忍んでお伝えするのですが、私には非常にやましい過去があります。これは私を反面教師にして欲しい話で、絶対に真似をして欲しくないのですが、ただこれがなければ今の自分がないのも事実です。

 私は人生で一度だけ、食い逃げ、という犯罪に手を染めようとしたことがあります。これは結果として未遂に終わってしまったのですが……。

 当時の私は奈良に住む男子学生で、いつの時代の話だと驚かれてしまうほど貧乏な生活を送っていました。とはいえ初めて奈良に住み始めた頃から貧乏だったわけではなく、途中で運悪く背負ってしまった借金が原因でした。この件は相手にとっても言い分があると思うので今さら彼ばかりを過剰に責めたいとは思いませんが、私からすれば信じていた友人に騙される形になったのです。最初に住んでいたアパートは家賃が払えず追い出され、移り住んだのは、こちらが申し訳なくなるほど寛容な大家さんがいる四畳半の下宿で、かなり安い値段で間借りさせてもらってたんですが、その支払いさえ滞るくらいでした。

 言い訳でしかないのですが、働いていたバイト先を突然クビになり、三日三晩ほとんど何も食べられず、空腹が限界に来ていた時があり、私は初めて入ったうどん屋で食い逃げを働こうとしてしまったのです。

 そんなに人が入っているわけでもないけれど、とはいえ閑散としているわけでもない。そんな「大仙庵」という名のうどん屋で私は強面な店主の顔と、自分とそんなに年齢の変わらないくらいの和服姿の綺麗な女性店員、そしてずずっと啜った歯ごたえのある麺を噛んだ時の食感、甘みのある油揚げを噛むと染み込んだ汁が全部口内に入りきることなく、ぽたぽたと汁の表面に落ち、波紋を作ってまた広がっていく汁の旨さ、そのすべてが私の後悔に繋がりました。嗚呼、私はなんて罪深いことをしようとしていたのでしょうか。自分が三国一の大悪人になったような気持ちにさえなりました。

 麺とあぶら揚げを瞬時に食べ終え、薬味だけが残った熱いままの汁をジュースのようにしてごくごく飲み干し泣いてしまった私の奇異な行動を、きっと店主も女性店員も不思議なものを見るような目で見ていたことでしょう。

 後は逃げるだけ。実は当初トイレの窓からでも逃げようと思っていました。とはいえ一度襲ってきた後悔は中々意識から離れてくれません。

 気付けば、私は店主のところに行き、
「すみません……金、無いです。食い逃げしようとしました」
 と言いました。

 殴られるのを覚悟しての言葉だったのですが、店主の親父さんは「そうか……」と表情を変えることもなく言い、「食っちまったもんは仕方ない。働いて、返せ」と私に皿洗いを指示しました。

 それから私は営業時間終了まで皿洗いをすることになり、その間、とにかく無心で働くよう心掛けましたが、親父さん以上に唯一の女性店員の冷たい視線と一度すれ違った時の「食い逃げなんて、サイテー」という言葉にだけは心がざわつきました。

 営業時間が終わると、親父さんは私にお店の席に座るように言いました。不安で、どきどきしました。いや叱られるのは覚悟していても、やはりこの強面の親父さんに怒られるのは怖いものです。

 しかし親父さんは私の目の前に差し出したのは怒りではなく、一杯のうどんでした。それはさっき私が食べたものとまったく同じものです。

「食え」と言われ、私はもう一度、そのうどんを啜りました。「美味いだろ」
「はい」

「さっきよりも?」
「はい。なんでだか……」

「罪悪感で食う飯なんて美味くねぇよ。そりゃ腹が空いてりゃなんでも美味く感じるかもしれんが、それは本当の美味しさじゃねえ。金がないなら、うちで働くか? 賄いくらいなら出してやる」

 私は頷いていました。心が和らいでいったのは出汁の香りのためだけではないでしょう。

 貧乏だからと言って学校に行かないわけにはいきません。貧乏だからと言って先生が単位をくれることはありません。だから学校には行くしかないのです。この時にはもう自分には大学なんて必要ないかも、と思うほど借金のことで苦しんでいましたが、学費だけは両親に支払ってもらっているので、申し訳なさがありました。それに中退すれば、正直に借金のことを伝えないといけなくなる。自分のせいとは言い切れないものではあっても、それはちっぽけなプライドが邪魔しました。

「あっ、あんた。昨日の食い逃げ未遂」と教室で私に突然声を掛けてきたのは、昨日の女性店員でした。「同じ学校だったんだ。……ねぇ、うちで働くって聞いたんだけど、本当?」

「あ、う、うん」
 彼女の目はずっと私に冷たいままでした。

「はぁ……」と彼女は溜息を吐きましたが、それは私が働くことに対してではないようでした。「お父さん。うちの経営状況のやばさ本当に分かってるのかな。そんなひとりだって雇う余裕があるわけ――」

 お父さん……そう彼女は親父さんの一人娘だったのです。そうか、あの店で働くということは彼女ともずっと一緒に働くことになるのか、と不安になりましたが、いつからでしょう、それが嬉しさに変わったのは。

 そして「大仙庵」と出会ってからの私の奈良での大学生活は、出会う前よりも濃いものになったと自信を持って言えます。親父さんとの関係は一バイトから親父さんの弟子みたいな存在になり、借金の問題が解決しても変わらず働き続けました。それは大学を卒業してからも続きました。

 今日、私が店主をしているうどん屋で、「食い逃げしようとしました」とひとりの青年が私のもとに謝りに来ました。その姿に当時の私の面影が重なるようなそんな感覚を抱きました。だとしたら、するべきことはひとつです。いやその行為は許しませんけどね。

「あなた。今日、お父さんが退院するんだって」
 あんなに嬉しそうな妻を久し振りに見ましたよ。お義父さん。

 私が覚悟を伝えに言った時、「お前は有名企業だって入ろうと思えば入れるだろ。何を好き好んで、こんな寂れたうどん屋を継ぎたいなんて」とほおをぽりぽりと掻きながら言ってましたけど、知ってますよ、お義父さんが喜んでいる時はそうやって自分を卑下すること。

 これが私の人生を変えた、一杯のうどんとの出会いです。

 あっ、ちなみに余談ですが「お父さん、娘さんを私にください」と言った時のお義父さんの表情は、食い逃げを告白した時より怖かったです(笑)

                         (了)


 ※これは実話ですか? Yes or No(あなたの脳内で決めてください)

 ということで、「#文脈メシ妄想選手権」第二弾。

(※労働後のうどん、あるいは罪悪感のない食事)

 ちなみに第一弾は、チョコよりも甘い、こういうの書くんだ超意外、などという感想を頂いた、こちら(赤面)

 第三弾に考えていた「サトウ・レンのサトウのごはんでレンチン」というダジャレみたいなやつは断念しましたので、永久欠番。我こそはというひとがいたら、このお題で書いてみてください(笑)

 マリナさん、あきらとさん、(再度)ありがとう~。