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その貌はどこまでも変わっていく。  月村了衛『欺す衆生』(新潮社)

《資料をまとめて会議室を後にしながら、隠岐はまたも自らに言い聞かせる。俺はまだ一線を越えていないと。//だがその線の位置を見定める者は、一体誰だ。//その目測がいつの間にか狂っていないと、どうして言い切れるのか。》

 悪辣な詐欺商法を働いていると知りながら、横田商事に入社した新人サラリーマンの隠岐隆は、本社の出張を命じられた際に会長殺害の現場に居合わせてしまう。五年後、前歴を隠しながら小さな事務用品メーカーの営業マンとなっていた隠岐は、かつて横田商事の総務にいた因幡と再会し、会社を起ち上げようとビジネスを持ちかけられる。脅迫を伴う因幡からの誘いを拒否しきれず流されるように、詐欺師の言い換えでしかない〈ビジネスマン〉として人を欺き始めた隠岐は、人を欺きながらも、詐欺という行為に酔わない、一線を越えないと自分自身に言い聞かせていたが……。

 ネタバレには気を付けますが、未読の方はご注意を!

 実在の固有名詞が頻繁に登場し、詐欺という観点から見る現代史のような作品にもなっている本書は、一人の人間の心情の変遷を丁寧に追った小説になっています。詐欺をテーマにした小説は決してすくなくない。特に新興宗教を題材にした作品でよく使われるテーマという印象があります(例えば篠田節子『仮想儀礼』はちょっとしたホラー小説が裸足で逃げ出すくらいの恐怖を描ききった大傑作だと思います)。栄華を極めた後に滅びていく様が描かれる場合が多いこのタイプの作品の中において、本作はすこし変わっている。物語の中でもっとも重要視されているのは、詐欺の構造のリアリティでもコントロールできなくなる集団の姿でもなく、いくつものトラブルや事件の中で変わっていく主人公の心情のように、私は思うのです。

 ネタバレを避けての表現になるので曖昧な書き方にはなってしまうのですが、繋がってはいけない人物と繋がり、(もうすでに目測が狂っていたのかもしれないが、それでも)自分自身で引いたはずのその越えてはいけない一線を越え……、〈ビジネスマン〉としての隠岐はどこまでも変貌していく。それでもときおり挟まれる家族の描写の中でだけは〈ビジネスマン〉としての貌をひた隠し、父親であり続けようとするその姿は確かに滑稽だ。しかしその滑稽な姿に一番共感している自分に気付き、苦しくなってくる。

 冷たく突き放したような、しかし物哀しさが残るラストに、ある名作小説を思い出したのですが、完全なネタバレになってしまうので、これを言うのはやめておくことにします。実在の詐欺事件をモチーフにした小説ですが、事件を詳細に追った作品というよりは、一人の人生を追った作品という印象なので、後者に惹かれる人にこそ読んで欲しい作品です。

 ぜひ、ご一読を!

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