「いい気のせい」の風に吹かれて味わう、酒と詩。
さっき、こんなツイートをした。
自分のつぶやきを引用してあれこれ語るのは確かに寒い。
でもちょっと大切なことに気がついたので書いておく。
上記ツイートの僕の気のせいは、おそらく気のせいだ。
混じりっけなしの気のせいだ。
何の根拠もなく、地に足がついていない。感想、妄想、その類だと思う。
明日の僕でさえそんな感覚を理解できるかはわからない、
けれども、ここが重要なんだが、誰かに証明しろと言っても無理だし、また明日の僕の僕でさえ理解できないようなその場限りの理解の仕方があってもいいのではないか?
物事には、その瞬間にしか立ち現れない側面というものがある。その最たるものは一目惚れというやつだと思う。
唐突だろうか。いや、そんなことはない。
今日も言い切っちゃえ。
酒と詩は、一目惚れの芸術なのさ。
惚れた瞬間はたしかにあった。
なかったらそんなにどきどきすることはなかった。
でも、その瞬間は言葉にしたら説明になるどころかどんどん真実から離れていってしまうような繊細なものだった。
こんなことって、ないだろうか。
あの時一瞬感覚と言葉が接地面のジグソーパズルできっかりとばっちりとハマってしまって、どうしようもなく恋に落ちたけど、でもあれは説明できないんだ。
でもあったんだ。
誰にもわからなくてもその瞬間はあったんだ。
僕にも、あなたにも一目惚れの瞬間があった。
その一瞬だけ砂浜のとらえどころのない真砂がひとつぶひとつぶくっきり見えて完璧な個性を感じるような、全体性と個性の抜群の調和。
そんな感じの瞬間があったはずだ。
誤解を恐れずハッキリ言おう。
酒と詩は、それを感じるための芸術であると。
いい気のせい、一瞬の合致、一目惚れ。
それを感じるための芸術であるという点で、一致していると。
ハッキリいっておこう。
だから僕はそれらに同時に同じ魅力を感じると。
さらさらと流れていく時を眼力でもって永遠に昇華させるんだ。酒も、詩も。
だから、(いささか雑な「だから」なのは承知)
僕はそれらを合わせて文字を並べてみたい。
一瞬の光を切り取る者同士を隣において、対比させたり、混ぜてみたり、遊んでみたい。
そうしていこうと思った。うん。
いい気のせいと気のせいを合わせて、どうしようもなくいい気のせいにしてみたいんだ。
酒自体も、その場の雰囲気も、造り手の諸々も、飲み手の笑顔も、提供者たちの信念もまるごと合わせて、いい気のせいを感じて、文字にしていく。
突発的なひらめきだけれど、だから自分が酒詩を書きたいのだな、と上記ツイートを呟いてから思った。だから、そうしていく。
これからは、更に素直にそういうのを書いていけたらいいな。
毎回勇んでは勝手に自信なくなって、やめちゃってたんだけれど。
ってことで若干の告知ですが、以前から世界の片隅で呟いてた酒詩が週明けくらいにウェブメディアに載ります。もちろん酒関連です。
書いてる自分自身もまだ何をやってるのか分からん部分はあるけれど、とにかく「ああ今酒にはこんなことが必要だなあ」って切実なものを感じながら書きました。
公開されたら多分記事で紹介するかと思います。
ということで、今日も自分の言いたいことばかりで読んでいる方々には何の意味もない記事だったかもしれないけれども。
あなたの「いい気のせい」が、いつか風に乗って僕のもとへたどり着きますように。
そんなことを思いながら、僕は僕の「いい気のせい」を、風に乗せて歩いてゆくよ。
乾杯。
よい酒を。明るい夜を。いい気のせいを。
だきしめようぜ。両腕でさ。
酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。