詩ってなんだろうと、もうずっと問うている
しかし答えが出ないのです。
力不足なのか、それとも問が強大すぎるからなのかはよく分かりません。
それ自体が何なのかもよくわかっていないし、詩の方法論となると更に良く分かりません。
毎回書き出しで異様に悩みます。
これがビジネスなら間違いなく「トライアンドエラーでやれ、どんどん書け。」となるような気がするのですが、どうにもそうはいかないのです。
(今日の文章はおそらくぶっきらぼうに感じられるような気がします。僕にとっても、あなたにとってもです。)
「宇宙が迫ってくる」
で書き出した詩と、
「まわりの我ならぬものがあらゆる方向から圧力をかけてくる」
で書き出した詩とはもう出港地点も寄港地点も、最終到着港もまるで違うようなる気がしているのです。その間のトライアンドエラーが全く同じだったとしても、その書き出しが決定的に方向性を分かつのです。
(それでいて両者は、時に全く同じ意味でも使用することができる。これは実に不思議なことのように思うのです。)
とまあともかくともあれ、「詩ってなんだろう」と意識しながら書かずにはいられないように思います。詩を書く人は。
方法論に陥ったらむしろ負けというか。
「こうやってこうやってこう書くんだよ」といってしまった瞬間にそれはどこかお役所の申込書のような定型文に成り果てるわけですから、そんな無粋な真似はできないわけです。無粋と言うよりそれは詩の死とすら言えるかも知れません(洒落ではないのですよ。真剣なのです。)。
詩というジャンルは、自身を構築しながら常に自身を逸脱していくような奇妙さがあります。ブロック積み木を組み立てては壊して悲しみながらまた造り喜ぶ幼児のような遊びだとも言えるかも知れません。
しかしそれはどこかそういった無邪気さ、素朴さを兼ね備えながらどこかで「ハッ」とさせる瞬間を作り出してしまう。読者を、ハッ、とね。
そんなこんなを繰り返しながら今ある私の最良の答えを最後に述べます。
詩とは、言葉を使ってテトリスとは逆の行為をすることなのです。
あ、テトリスってやったことありますか?
簡単に説明しておこうかな。いや、いらないかな。
あえてしようか。あえる意味もないのだけれど。
いわゆる「落ち物パズル」の元祖ですね。
大小形も様々なブロックが時間とともに落下してきます。
そのブロックを上手に並べて、
…やめた笑
よし、カモンWIKI!!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9 (フリー百科大辞典 ウィキペディアへ飛びます)
はい、こんな感じのゲームです。
皆さま知っているとは思いますが、一応ね。
テトリスというのは、落ちてくるブロックをいかにして大胆かつ効率的に消すかを競ってるわけです。消す。勝つ。スッキリする。
詩とはだから、並んでいってしまう言葉をどうやっても効率的に並べられず困ってしまう行為なのではないかと思います。並ぶ。手に負えない。もやもやする。
(だから昨日書いた「…テトリス」という詩は、頭の切れが悪い僕にしてはそれなりに上手く言葉を選べて、自分の好きな酒でオチまで付いて、それゆえとても好きな部類の文章なのですが、個人的には「詩」ではない気がするのです。「詩」でハッシュタグつけといてなんやねんって感じですが、そう思っているのです。)
テトリスではきっと正方形がまっすぐ4つつながったブロックを縦向きで垂直落下させて
「パッ!」
とそれまで重ねた4段のブロックが魔法のように消える時にそれなりの快感を覚えるのでしょう。
でもたぶん詩とはそれをしない文章なのです。
どこか歯切れ悪くて、引っかかって、まとまってなくて。
自分と自分の世界を貫くものを一変させるような趣味の悪い後味を残すもので。
正方形がまっすぐ4つつながったブロックを、縦向きで使ったりはしないものなのだろうなあ。
決して消化されはしないのだろうなあ。
そういう言葉なのだろうなあ。
ああ、どこまでも胃もたれする言葉。
僕はそんな感じのやつが好きです。
そんな風に思います。
そんな風に、思うんだー
酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。