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アンサーソング ぼくはきつねにはなれない

友達が石川から来た。一度も実際に会ったことがないひとだ。どんな雰囲気になるのやら。とかくそわそわした。

その日はいい天気だった。朝から家族で漁港に行ってアラ汁を飲んだり、公園に行って遊んだりした。途中酒を買ったり食い物を買ったりする。「もてなそうとか考えなくていいんだよ」と事前に言われたけれど、なかなかそうもいかない性分なのであれこれと用意をしてしまう。

さて何を話そうかな、と考える。初めて飲むときってのは考える。酒の話か?noteの話か?はたまた別の話か?そんなことは気にしたって仕方がないのだけれど、気にする。そうやってひととおり考えた後、「いや、考えてもしゃーないでしょ!」と謎に開き直って場に臨む。わたしの常。

そんなこんなで、駅の近くの駐車場で無事に友達と合流した。思ってたより大柄だった。いつかツイッターで180くらいあるとかないとか見ていたはずだったけれど、驚いた。たぬきにしてはでかすぎないか。(彼のSNSアイコンは信楽焼のたぬきである)奥さんに軽く挨拶をして、車で目的地へ。

最初の目的地を蕎麦屋にしてよかった。リラックスできた。酒を飲む前から割と突っ込んだ話を仕掛けてくるのでペース早いなあとも思ったけれど、時間が限られているが故なのかな。酒を飲んで打ち解けたというよりは、すでに打ち解けていたような。

話のペース以上に酒のペースが早いのが驚きだった。このたぬき、調子いいときは焼酎一晩で一本開けるらしい。夜勤前は朝まで飲んでいるとな。身体には気をつけてほしい。いや、誰なんだおれは。

そういえば店のビールがキリンからアサヒに変わっていて驚いた。スーパードライではなくて、ちょいプレミアムなやつ。スーパードライは苦手なんだよなあ、という話で盛り上がる。ここで、あ、このたぬきほんとに酒好きなやつだなと分かった。

ビールはあっという間に消えてしまって、次の酒へ。彼は日本酒がいいという。少し苦笑いする。というのもこの蕎麦屋に置いてある酒がわたしの前職場の酒だったから。久々に飲む。それほど特級の酒ではないものの、蕎麦屋で飲むと割といける。この日もそんなに悪くなかった。

彼は鴨せいろを、わたしは天ざるを食べて次の目的地へ向かった。

目的地はわたしの家だった。蕎麦屋からは歩くとまあまあかかる。ということで途中のコンビニで酒を買っていくことにした。もちろん家で飲む用ではない。歩きながら消費する用である。

家にかなり日本酒あるからここで飛ばしすぎるとアレだよ、というふうなことを告げたはずなのだが彼が買ったのは吉乃川のカップ酒だった。ザルのやることはこれだからわからない。わたしは檸檬堂を買って夜の道へ。

歩きながら酒と、あとはひとの生死に関わる話をしたことを覚えている。酒に限らず、自分の好みを言葉にできるひとは感心する。さっきのビールの話の続きやら日本酒の話やらをしたっけ。どうやらこのたぬき、好みは割と明確だけれどなんでも美味しく飲もうという精神の持ち主らしい。素敵だと思う。すべての酒飲みがそうなってほしい。

ひとの生死に関わる話は彼の専門だったようだ。ひとの今際で芝居がかったようなことをするのが好きではないらしい。日々それと接しているから見えているのか、それともそことは関係なく見える人なのか。いや、たぬきだけど。いつになってもひとは死ぬのがうまくならないね、と答えたような気がする。

話がピークに達したくらいで信じられないくらいの豪雨になって、もうすこし、もうすこしだから、と叫びながら家へ走った。笑った。まったくいいタイミングで降りやがるぜ。

家についてからの会話が印象的だった。あと、乾杯のタイミングで息子がたぬきに酒を注ごうとしたのに驚いた。そんなことしたこともないのに。

ここまで接した感じと家で日本酒を飲み始めた時の言動から、酒の説明なんて必要ないひとだな(そもそもひとじゃなくてたぬきだけど)と感じていたので、順々にただ酒を飲んだ。

酒の場をしらけさせるのは本当に簡単だから、和やかな飲みであってもどういうふうに振る舞うかはいつも悩む。この日は彼があまりに楽しそうだったので、助けられた。楽しかった。

で、会話だった。印象的なのは。

本当によくない癖だと思うのだが、わたしは今現在仲良くしているたぬきを含めた動物たちと大体悪口で仲良くなっている。妻もそうだ。だからわたしのまわりにはろくなやつがいない。ろくでもない楽しいやつらばっかりだ。

たぬきが仕掛けてきた悪口トークは実に刺激的で、まあ乗った。SNS上に流れる清らかな清らかな雰囲気が鬱陶しくなることがある、という話だったような。それに本気になってキレるわたしを見て、たぬきは、うわあほんとに不器用だねー、と笑っていた。飲んでいた。そのうちにわたしを悪質にからかい始める。痛快だった。念の為に言うけど、非難の気持ちなどはまったくなくただ痛快だった。よくブランディングされたたぬきやろうだな、と思った。心の底から吠えて笑ってキレましたわ。くそやろうめ。

ただひとつ心に残っていることがあり、わたしをからかって笑う彼の表情や言動はどこか寂しさを感じさせた。もちろんそんなことは互いに口にしはしなかったけれど。

最後は少し暖かいものがいいかな、と思ってお燗を用意した。お燗下手なのだけれどもこの日はなにかのマジックで信じられないくらいおいしく仕上がった。無窮天穏というお酒だった。天穏やかなれば窮すること無し。雲をつかむような質感だった。たぬきも喜んでくれたようだ。この文章の表紙の写真に写っている手取川という酒もお燗した。

それがきっかけでお燗いいなあと思うようになり、後日何度かお燗をして飲んだ。なんて単純な。

しかし不思議なもので、たぬきにお燗したときのようになかなかならない。ハイレベルなお燗をつけるお酒の先輩に「燗むずいっすわ」と相談すると「難しい顔してると酒も困るぞ」と言われた。

ひとづきあいもお燗も似たようなものなのだろうか。と考えるとひとまず今回は難しい顔をせず、朗らかに時を過ごせたのだろうか。そうだとしたら、これ以上の喜びはないね。

あのくそたぬきめ、とあれから何度も振り返る。面白いもので、別に直接アドバイスなんてもらっちゃいないのに(というかからかわれてただけなんだけど)彼とのやり取りの後、今まで踏ん切りがつかなかったことのいくつかに踏ん切りがついた。わたしは流れてくる情報や感情の渦に巻き込まれずにやることをやろうと思えた。

たぬきめ。敵わないな。

面倒くさいからやらないけど、たぬきと張り合うならどうしたらいいんだろ。きつねだろうか。きつねになろうか。きつねになって化かしあえるか。否。わたしはどこまでいっても化かしあいがバカバカしくなる質である。ならばどうしようか。

わたしは猪であろうと思う。化かされてもいいからとりあえずできることをやる。直進する。たまに寂しくなって人里にやってきて、びゅんびゅん何の気なしに車を飛ばす人間の前に現れてバンパーくらいぶっこわしたい。たぬきも猪もそういう点では似てるかもしれない。(ほんとに?)

それくらいの存在感で楽しく生きていきてえな。

ということでたぬき。

また飲もうぜ。ありがとう。乾杯。

たぬきのnoteはこちら↓

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