ワイン2

なぜだかワインを飲む理由。

自分がなんの理由もなく衝動的に行ったと確信していた行動が、少しあとになって完璧にその時必要だったからそうなったのだと理解される事が増えた。

こどものころはそんな振り返りなんてする必要がなかったからなかったのか。それとも自分が鈍感だったのか。

どちらなのか、どちらでもないのかはわからない。

一つ確かなことがあって、僕は今日帰宅して夕飯を食べて後ワインが飲みたくなった。確かに、なった。
すでに惰性のレモンサワーを飲んでしまっていたので、妻に運転を頼んで近くの酒販店に買いに行った。

ぼんやりと赤ワインを飲もうかと思ったり、白ワインを飲もうと思ったりしていた気がする。

酒販店の駐車場について「さて何を買おうか」とつぶやくと瞬時に妻が「白だね」とか言った。
え、と思い。「白か」とつぶやいて僕は店内へ行った。

(妻は妊娠中で酒が飲めない。どういう気持ちでいったのかはわからない。ただ、僕はそう言われても気分が赤ワインなら意見ガン無視で赤ワインを買う。ワインとはいえ酒だ。気分じゃない酒を呑むことのくだらなさは知っている。時にそんな行為(全く気分じゃないお酒を飲む!)にも味がある、なんて言説を聞くが、僕には全く理解ができない。)

いつも行っている酒販店だった。日本酒は自分で選ぶけれど、ワインは選べない。無知の分野で虚勢を張るほど暇でもない。店員さんに相談する。

そこで出会ったのがこれだった。

まるき葡萄酒の甲州(KOSHU)。
どこかで見たことがあるデザインだ…と思ったら日本酒の名店いまでやさん(千葉に本店あり)の看板にそっくり。で、説明を聞くとどうやらPB的なものらしい。

なんでかわからないけれど、これを買った。
もちろんデザインが気に入ったのはあるけれど、それだけではなかった気もした。

店員さんと他愛のないあたたかな雑談をして、家族とも他愛のない暖かな雑談をして、ドライブして帰った。

風呂に入った。
子どもも寝た。

飲むシチュエーションとしては、ありがたくも万全。
甲州を飲み始める。

ラベルがいいと様になるものだ。
もちろん大事なのは味だけど。

トロピカルフルーツのような香り、丸みのある質感、きりりというよりはちょっとギリリといった風情の酸、ゆるゆるとたなびく後味…。

お値段以上だった。どこかの家具屋みたいだ。良く言ったらコスパよし。悪く言えばその言葉で表すと陳腐。

うまかった。
が、うん。うまかった。が。

いつもはいっぱい飲むと何らかのやる気が起きて詩でもふかしてから酒の紹介記事を書こうか、という流れになるのだけれど今日はならなかった。
自分の体内に脳内に熱を全く感じない。
あれおかしいなと思って料理をしてみる。SNSの知人から教えてもらったレシピはなかなか良かった。うまい。

しかしこの日の自分は動かなかった。
酒の本を読んでも、文学を読んでも。

熱くならない。
別人になってしまったような心持ちすらあった。
昨日のとある音楽のライブで精根尽き果てたか?
いや、その後飲み屋に行って「また酒を頑張るか!」と発起したはずである。
今日は仕事も楽しい時間が多かった。珍しく。

何か気にかかるとすれば自分の中に入ってくる情報のことだろうか。
日々生きていると、自分が書くということに影響を与える色んな情報が入ってくる。浅はかなコツだったり、身になることであったり種類は様々だけれど、そういったたぐいのものだろうか。

だろうか。

だろうか…。

それか。

ワイングラスにもういっぱい注ぐ、飲む。
(実際はこんなに時系列に沿ってない出来事ですけど、揃えたほうがかっこいいのでちょっと演出しますよ。)

甲州の酸味が消えた頃に思った。
「深層心理」なんて、普段はばかにするような言葉が頭をよぎった程だった。それを思ったときの衝撃は。

「今自分は自分の中の気づかなかった部分の必然性に基づいてこの白ワインを飲んでいる。」

そう思ったのだった。

日々流れてくる情報、とさっき言った。
それは例えばこういうものだ。
「フォロワーが増えるまでは他人に自分の知っている分野のお役立ち情報を伝えるようなものを載せなさい」
「自分事は後回しにしなさい」
「他人の中にある言葉を見つけるのが文学の役割なんですよ」
「奉仕です。奉仕の心です。」

それは、他方こういうものだ。
「自分が書いているものが他人に受けるかなんてそれはたまさかのものです」
「受け狙ってて寂しくないですか」
「自分が本当は興味もないことを書いていて得られたものって価値ありますか」
「プロフェッショナルは自己中だよ。それがオリジナリティの原動力だよ。」

うるさい、と両方に向かって叫びたい。
奉仕家としても、夢想家としても半端だ。が、叫びたい。

が、その叫びはすでにこの酒のチョイスに現れていた気もする。

僕は日本酒が好きだ。
時々日本酒がわからなくなるし、その後でまた好きになったりもする。

それを職業にもしているし、趣味の大半もまあ酒と言っていい。
が、故に先程のうるさい言葉たちは僕の人生の大半を占める酒の分野にも響いてくる。

うるさい。
そのうるささは原動力になることもある。

でも、うるさい。

その騒音故にたまに日本酒が嫌いになることがあるらしい。
と、今日知った。この酒のチョイスで。

こじつけでも必然を感じてしまったなら、おれにとっては必然だよ。
あとは皆さんへいへいへいと呆れながら聞いてくれてもいい。
が、感じたのは事実だ。

なぜワインを買ったの?
―日本酒を飲みたくなかったから
 
なぜ白にしたの?
―ワインでも、それでもどこか日本酒に似ていたから

なんでこのワインなの?店員は別のもすすめてたのに
―それでもこれは日本酒でも有名ないまでやさんのやつだったから

そう。
今日は自分の気づかない心の力に動かされて、僕はこの酒を買った。

そこには必然があったのです。
「日本酒のこと考えると雑音がうるさいからワイン飲みたい。でもどっかで日本酒とつながってたい」みたいな。ふう。


飲んだ。美味しかった。しかしそれでも動けなかった。

自分でも支離滅裂になってきているのがわかるけれど、そんなに酔ってはいない。本当に自分の中が支離滅裂なのだと思う。

日本酒について書く―無知な部分が多いのに―でも無知でも感じたことはかける―お前が感じたことを保証するものはない―それは保証されなくても真実だ―真実だとしてもお前がお前に固執している限りそれは他人に価値のあるものにならない―自分にとって価値があればいい―なら日記に書けばいい―他人に知ってほしいこともある―ただの矛盾、自己満足、自己陶酔―その先に何かあるかもしれない―まさに他者に尽くすことがその先のなにかなんじゃないのか―わからない―わからなくて関係のない酒を呑むのか―知らない―わけがわからない―いったい自分に何ができるのだろう―怖い

普段抱えている不安がこんな感じで一挙に今上がってきてますが、まあ、大丈夫です。
いいんです。前から言ってるけど、いいんです。

成長が感じられなくても(第一自分で自分が成長したなどというのはまさに自己満足ではありませんか)、受けなくても、他人のためになってなくても書く。

「あーこれ誰かがオモシロイと思ってくれたらいいな」って口の端っこの隅っこだけほんのりにやけながらまた書くのです。

いいんです。
今日は。

こんなに日本酒を飲みたくない夜の最後に、結局今寳劔を飲んでます。
だから、いいんです。

おれはいつでもここに戻ってくる。
何秒何日何ヶ月、何年離れても、戻ってこれる。

だからいいんです。

たまには白ワインを飲んでいいんです。
そのあとで。

そのあとでまた、酒が飲めればいいのです。

はい、それでいいんです。
寳劔に乾杯。



間奏部分を埋めてくれたKOSHUにも、乾杯。

どうあっても逃げないこと。
戻ってくること。

あの熱さから、逃げないこと。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。