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52.平山郁夫 悠久のシルクロード@佐川美術館

おはようございます。

すっかり蝉の声が聞こえなくなってきました。
コオロギの泣き声が聞こえます。



昨日は、佐川美術館に行ってきました。
意外と始めての佐川美術館でした。


平山郁夫さんの悠久のシルクロード展を見るために訪れたのですが、まず美術館の建物自体に目を引かれました。


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建物の周りに薄く水が張ってあります。
琵琶湖から吹く風によってたつさざ波に反射した光が、建物の屋根裏に見事の映し出されて、自分もゆらゆらを波に心地よく波に揺られるような感じがします。



美しい廊下を渡り、入口へといざなわれます。

ちなみにこの屋根や壁は一見、白色なのでコンクリートなのかなと思っていたのですが、近くで見てみると、木目があり、木だということ判明し、印象アップしました。

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悠久のシルクロード展は、元東京芸術大学学長の平山郁夫さんが調査をきっかけに長年通い続けたシルクロードをモチーフにした絵画展です。


シルクロードという言葉自体にすでに幻想的でなにか寂寞な想いが駆られるような感じがします。
また、2016年に中国の西安からトルコのイスタンブールまで旅をしました。
シルクロードといっても、いくつかのルートが存在するのですが、おおむね同じような道程をいったのではないかと思っています。中国、中央アジア、中東、コーカサス、そしてトルコ。様々な思い出があります。
だからこそ、このシルクロード展が開催されると知った時から、絶対に行こうと決めていました。




・自己視点と作者視点


最初の方はトルコでの作品が多かった印象を受けます。トルコは僕にとっても非常に思い出深い国でした。イスタンブールのブルーモスクやアヤソフィア聖堂などのをモチーフにした絵がありました。またトルコのおじいさんや女性を描いた絵も多くありました。
それらの絵見ると、トルコでの思い出がよみがえります。
そして、良い悪いではないのですが、想像してみるというより、自分の記憶と照らし合わす作業が頭の中で行われていました。

「ブルーモスクってこんなかんじだったっけ?」
「夜のイスタンブールってこんな風に見えたっけ?」
「あ、トルコのおじさんこんな感じだったな」

といった感じで。


なんとなく自動的に頭が描かれた絵と自分の記憶の照合作業を行っており、記憶が喚起されて楽しい反面、差異があったときに違和感を感じることがありました。


でも今考えると、絵に描かれている情景は平山さんが見て感じたものであり、自分の記憶の情景やトルコの印象とは違うのは当たり前だよなと気づきました。


でもそれは当たり前のことで、見ている景色は同じでも、時代も違うし、見ている人のその時の感情も違うし、見ている人の背景も違う。
20代前半の自分と40,50代(正確には分からない)の人が抱く感情や考えはもちろん違ってくる。

それよりも、平山さんの視点を想像をしてみることが大切だったとおもいます。その絵をどんな想いで書いたのか、そしてその絵を通して、どんなメッセージを伝えたかったのかを感じ取ること。

そして、現地に行ったことのある自分だからこそ、より受け取るメッセージに意味や深みを感じ取れたんじゃないかなと思います。

そういう鑑賞の仕方もできたのではないかと思いました。


今回は自分視点で、記憶を遡る旅として楽しみました。次は誰の展示であれ、作者や背景に想いを馳せながら鑑賞してみよう。


・トルコのおじさんの親しみやすさ

作品について少し触れたいと思います。
最初の方の展示にあったトルコのおじさんの絵が印象に残っています。
絵から親しみやすさがにじみ出ていました。
その絵の情景や背景自体は平川さんのものでしかないですが、トルコのおじさんの親しみやすさという感じは僕にも非常に共感できるというか感じ取れるところがありました。
また敬虔なイスラム教徒の女性の絵にも目を引かれました。ヒジャブをまとい、人前にあまり出ることのない女性たち。神秘的な印象を受けます。

振り返ると、イスラム教徒の人たちへの印象だったな。
トルコだけではなく、ウズベキスタンやイランなど多くのイスラム国家を旅しました。
日本に居た頃は、一部の過激な原理主義者によるテロ行為や偏向報道によって、イスラム教は危険だとか頭おかしい、中東の方は危ないという考え方を植え付けられていました。しかし、実際に現地で出会ったイスラム教徒の人たちは言葉に言い表すことができないくらい親切で優しかった。

絵では特定の時代に特定の場所で特定の人が描かれていましたが、その絵を見た時に、僕の中では全体としてのイスラム教の印象がよみがえったのだと思います。優しくて、幻想的で、飽きるけど飽きないような雰囲気。

だからこそ、トルコのおじさんの絵を通して、親しみやすさがあふれ出しているなと感じたのだと思います。



・思い出すのは、人

おおくの景色や情景を見てきましたが、今思い出すのはやっぱり、人、だなと思いました。
カッパドキアの絵やペルセポリスの絵があり、もちろんその風景を思い出すことはできます。
しかし、印象に残ってるのは、誰と訪れたとかどんなことがあったのかということでした。

「ペルセポリス遺跡はOOといったな」
「ヒッチハイクさせてもらったな、優しいおじさんやった」

みたいなことを考えていました。

もう少し、歴史的な知識を知っていたりするともっとその場所の意味性を感じ取ることができて、思い出になっていたのかもしれませんが、幸いにも(不幸にも?)あんまり予備知識を持っていなかったので、より人との出会いや思い出が記憶にあります。


・今ならもっといろんなことを感じ取れそう

当時の記憶や感情を思い出しつつ、平山さんの視点も交えながら旅を思い返すと、もう一度行きたいという想いにかられます。
今は厳しい状況が続いているので、すぐにというわけにはいかないですが、いつかまたいける日があるならば、その時は全く違ったことを感じ取れそうだなという気がしています。

もちろん前回の時は、その時にしか感じ得なかった想いがあり、それも思い出としてあります。(基本的に旅中は気分が沈みがちだったから、めちゃ楽しかったという想いでは少ないけど。笑 それも含めて、その当時の思い出だな。)

だからこそ、次への想いがあります。
同じ場所でも風景は違っているだろうし、今の自分から発せられる感情も違っているはず(歴史の知識も少しずつ蓄えているゾ)。その中で世界を知り、また新たな自分を発見するのが楽しみです。いけたらの話だけど。








佐川美術館は展示関係なく、一見の価値がアリ。


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