㉗おばさまと揺蕩う感覚

おはようございます。



昨日は、久しぶりにプールに泳ぎにいきました。


市営のプールで、先月にオープンした新しい施設でした。


ジム、プール、浴場、スタジオがあります。
プールは温水プールで、隣接するクリーンセンターで発生する余熱を利用しています。



新しくできてから、行きたいなと思っていたので、今日初めて行きました。
軽く見学に行くくらいの気持ちでいきましたが、今日も様々な発見がありました。



僕は、小学生の頃にプール教室に通っており、それなりに4泳法を泳ぐことができます。ただ、泳ぐこと自体はあまり好きではなく、サッカーを始め、水泳から遠ざかるようになりました。
中学校での水泳の授業以降は、毎夏、友達と琵琶湖や海にちょいちょい泳ぎに行くくらいでした。

スキューバダイビングのライセンスを持っていますが、これは泳ぐというより、浮いたり、もぐったりするものなので、水面で泳ぐ少し水泳とは違う気がします。


一応小さいころに習ってはいましたが、これまで泳ぐこと自体を考えることはありませんでした。
今回、頭でっかちになった自分が水泳を新たにしてみたことで、またこれまでとは全く異なった視点というか、自分が気づいていなかった水泳に出会うことができたような気がします。
まったくのど素人で、昨日久しぶりにやってみただけなんで、語るような資格100パーないというのは承知してますが、とりあえず感じたことを書いてみます。




水泳は、生きる上で必要な基本的身体動作のひとつだと考えました。
呼吸すること、立つこと、座ること、歩くこと、走ることの次くらいにに泳ぐことがくるのではないかと思います。
立てなければ、歩けなければ、走れなければ、泳げなければ、災害が起きた時などいざという時には死んでしまいます。
生きることにサッカーボールのように余計な球は必要ありません。
だから、子どものころに水泳を習わせるのだと納得しました。

最近は座ることや歩くことについてずっと考えていたので、水泳を新たにしてみて、このように考えるようになったのはある意味必然だったかもしれません。







死なないための歩行、水泳は、行為そのものが大事なのではなく、
その行為における身体の動かし方が大事なのだと思いました。
言い換えると、身体の使い方を知るということ。それを無意識のレベルまで落とし込めたら、有事の際にも働かせることができます。





そして身体が動かせるようになるには、
自分の身体の可動範囲を知り、広げること正確な動かし方を知る
知る必要があります。
これが、非常に重要ですが、一朝一夕で知れるものではないです。
日々の本当に小さな動作から、身体の各部位に気を向け、その時その時の状態に徐々に気づくことでやっとスタートラインに立てます。





水泳に関しては、呼吸、手の動かし方、足の動かし方、頭の位置、目線など大量の動作の集合体であり、一つでも機能しなかったり、不足していたりするとまともに泳ぐことができません。そして、泳ぐことができなければ、そのまま死に直結します。




それくらい実は怖くて重要なコトだったんだな、と今さらになって気づきました。


今思えば、友達と川や海に遊びに行った時も、毎回一度は溺れそうになっていました。いつの間にかじたばたして、呼吸をすることに必死になっていた気がします。毎回のように呼吸がうまくいかずに、疲労して、身体がすぐに冷えて震えていました。
なんで、みんななんとなしに普通に泳げるんやろうと疑問に思いながら、とはいえ、自分の中では、小学生の頃に泳げていたし、別に泳げ変わけではないから、大丈夫やろうと安直に考えていました。
この自己慢心的な状態が続いていたら、いつかは溺れ死んでいた可能性もあると思いました。


そして今回、問題は自分の泳ぎにおける、呼吸の仕方や身体の動かし方に問題があるということに向き合うことになりました。
25mプールのなんの危険もない温水プールでも溺れかけている自分がいました。
うわ、まじかあ、とショックを受けると同時に、
鼻に水入ってくるなあ
とか
頭のあげかたこれでええんかなあ
とか
苦しくなったら、ジタバタしてるなあ、そもそも苦しくなる事に問題あるくない?

と、泳ぎながら、冷静に自問自答している自分がいました。


そして、25m泳ぎ切るのにハアハア言うてる若者の隣のレーンで、60代くらいのおばさまが何往復も休まずに泳ぎ続けていました。
悔しくて、水中に潜っておばさまの泳ぎを観察していると、めちゃくちゃゆったりゆるりと泳いでいました。揺蕩っていました。
凄い綺麗なフォームで、無駄に力んでいるようにも見えず、これは疲れへんし、死なんわと思いました。美しいものは、機能的で効率もええんやともおもいました。


それを見て自分の泳ぎを再確認してみると、呼吸すること、手を動かすこと、足を動かすこと、すべての動作に必死でした。いつ死んでもおかしくない泳ぎをしていたと思います。ほんまにここまで生きてこれてよかった。


水泳に限らず、すべてを頑張ってしまい、力んでしまう癖があるので、
またこれか
と思いましたが、逆にこれに気づけたんはほんまにデカいし、嬉しかったです。気づけた時点で、自分のものやし、あとは修正しながらやり続けるだけやなと。水泳できるようになっちゃうやんと。


大切なのは。揺蕩う感覚。
揺らぎを感じ、心地よいかどうかを常に確認しながら、頑張りすぎないこと
これを追求していけば、自ずと泳ぎに余裕ができて、上手くなっていくと思っています。


最近自分の中で大切にしていることであり、これは間違っていないとさらに確信を強めました。死なない工夫であり、よりよく生きるために。


これを追求し、逐一修正していくことで、確実に泳ぎを習得していく自分を想像できました。おばさま待っといてくだされ。



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