OLになりたくなかった私

今年、新卒で入った会社で4年目を迎えた。入社当初、学生時代から仲の良かった友人に「OLになったんだね。」と言われたことがある。

その時、私はOLという単語に対する違和感とそのようにみられていることに対する反抗的な気持ちになったのを今でも鮮明に覚えている。当時の私は、OL=ランチの時間を唯一の楽しみに働く事務職の女性。というイメージを持っていて、総合職・営業・外回り中心の私と、自分の持つOL像はあまりにも離れていた。
今思えば、私のOL像も偏っているのかもしれないが、「OLになったんだね。」という言葉に対する衝撃と違和感は今でも鮮明に残っている。

配置換えのになって移った愛知県は、私の思うOLがたくさんいた。そこで自分がOLになりたくないと思っていたことに気が付いた。単純作業・拘束された時間社内で仕事をする。結果を求められない。ということが自分のOL像だということに気が付いた。推進力をもって仕事を前に進めるといった姿勢は名古屋の同僚たちには見えなかった。営業の時は仕事に対する姿勢がそのまま結果につながったが、彼女たちの仕事は、工夫してもしなくても、結果は表面化しないように見えた。

頑張っても頑張らなくても同じなら、頑張らなくていいや。そんな働き方は楽だが、あとから振り返って自分に何も残らない。それがいいと思う人もいるし、それではいやだと思う人もいるだろう。私は後者だった。

勤務時間中の自分の仕事がどんな結果を残したのかを常に求められている環境にいたせいか、内勤業務でも同じようにマイルストーンごとに進捗を上司に報告した。上司には評価されたが、女社会もといOL社会ではそういうアグレッシブな姿勢は犬猿された。

自分が携わっていた仕事がひと段落したころ、またしても配置換えの辞令。大阪に異動になった。企画業務と事務業務、今まで経験したことが活きる職場ではあった。若干無茶ぶりではあったが、イラストレーターを使って提案書を作るために空き時間を見つけてはイラレの練習に励んだ。

そしてある時、自分がだんだんとOLになってきていることに気が付いた。以前は体のことを考えて作っていたお弁当も徐々に面倒になり、昼夜外食することが増えた。体調や食べたい!という気持ちより何かおなかに入れないと…安いものでいいかな…。と、適当なものを選んで食べたり、お昼ご飯ぐらい楽しまなきゃね…と近所のお店を開拓した。食べ物が大事な私だったが、このころはプライベートは何もかも投げやりで全体的に疲れていた。やってらんねーと思っていた。その場しのぎの毎日、本当にやりたいことはしないで、目の前に落ちてくる仕事を処理するだけの時間。私は一体何をしているんだろう。。。思考停止していた。

ずっとこのまま仕事をするのか、正直に言えばそんなイメージは持てなかった。来年には辞めようとか、漠然と辞めるつもりではいて、時間だけが過ぎていく。世間から見れば、営業で疲弊するよりも企画の仕事がいいだろうと言われ、栄転の道を歩んでいた。肉体労働から知的労働に転嫁しつつあるのは事実かもしれない。でも、心がだんだんむさしくなっていく。

あるとき友人から言われた言葉を忘れることはできない。
「やりたいことがあるのにどうしてそれをやらないの?いや、単純にもったいないなぁと思って。イラレを使えたりデザイナーになることが、あなたのやりたいことをやるのに、何の役に立つの?」
普通の会話で言われたこの言葉が心に刺さって翌日は寝込んだ。(笑)

その通りでしかなかった。世間ではイイネイイネともてはやされることが、自分のやりたいことを足止めしていることを、見ないふりしている自分に対して、疲れている自分。

「将来辞めるとわかっていることをどうして続けるのかか理解できないな。」素直にその言葉は腑に落ちた。その通りだった。

目の前の面倒なことを先延ばしにして、今を生きればいいやという気持ちで生きていると、自分が飛び込める振幅がどんどん狭くなっていく。挑戦できるのは、冒険できるのは1,000円のランチ。なんてチープなリスクテイキング。

もっと飛び込める気持ちがあるのに。体力も、やる気もあるのに。
やらないでハッピーならそういう人生もアリだろう。
どうせもやもやするなら、やらないよりやってみたい。

あんなに辟易していたのに、気持ちが変われば 1秒で元気になる。
人生は面白い。この記事を書いた後、私はどう変わるのだろうか。
踏み出すことができるのだろうか…。