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新卒でByteDanceに入社しました

長いようで早かった5年間の大学生活を終え、今年4月、社会人になりました。新年度から早3ヶ月が経ちましたが、6月でByteDanceに入社して丸2年(インターン期間含む)となり3年目に突入するキリの良いタイミングなので、これまでの歩みと今後の思いをまとめてみたいと思います。(※9000字あります)

この記事について

個人的な備忘録兼社会人としての意気込み

生い立ち

1997年埼玉県で生まれ、熱狂的なサポーターが多い浦和レッズのお膝元、浦和で幼少期を過ごした。

小2で父親のふるさとである愛媛県へ。その後高校卒業までを人口10万人弱の田舎町、愛媛県の新居浜市で過ごした。新居浜は瀬戸内海に面したのどかで落ち着いた素晴らしい町である一方、幼少期を過ごした浦和のような都会へのアクセスは物理的に難しい環境であった。

◼︎ラジオと僕の好奇心
幼少期にちょっぴり都会を知ってしまっていた自分は、新居浜が世界の全部ではなく、もっと世界は広く、たくさんの人やモノで溢れていると信じていた。「もっといろんな体験をしたい、いろんな人に出会いたい、けれど物理的に難しい...。」より広い世界があることを感じていた自分は、どこか心の奥でもっと広い世界に行きたいとの想いが募っていた。

そんな少年の行き場のない好奇心を満たしてくれたのが、ラジオだった。全国ネットの10代向けラジオ番組 SCHOOL OF LOCK! という番組で、まだ有名になる前のインディーズバンドや女優,俳優さんなどが出演されていた。中高時代は、毎晩このラジオを聴きながら宿題をしていた。

東京と愛媛という物理的な制約があるなかでも、リアルタイムで新しい音楽が聞けて、最新のトレンドを知ることができる。日本のいろいろな場所にいる同世代が同じ時間に同じラジオを聴いて時間を共有している。そんな"ラジオ"の力に虜になり、将来はラジオのように物理的な制約なくいろんな人に力を届けることを仕事にしたいと漠然と思っていた。

ただ漠然と思っていただけで具体的にはイメージできていなかったが、"ラジオのような "ものへの憧れがあった。

高校の時は理系だったが、小さい頃から金融や経済,経営などの社会情勢に一番興味があり、理系だが文系に近いような学問である経営工学という道に進むことになった。

"広い世界が見れる"という欲望と期待と共に、東京での生活を始める。

・・・

◼︎大学入学後の時系列まとめ

◼︎大学1年
勉強も遊びも楽しみ大学生活を謳歌
◼︎大学2年
2017/7-11 六本木にあるIT企業ではじめてのインターン経験
2017/9-2018/1 メディア系事業立ち上げするもあえなく失敗
◼︎大学3年
2018/4-8  サイバーエージェントにてインターン
2018/9-2019/6 大学を休学し、シリコンバレーへ1年間の留学
◼︎大学4年
2019/6-12 ByteDanceでインターン
◼︎大学5年
2020/1- 2021/3  ByteDance広告プロダクトPMMとしてインターン
2021/4 - PMMとして新卒入社

大学1年

地方の田舎町から上京し、"東京"という街に身を染め始めたこの時期。ほぼ毎日1限から6限という理系らしいハードスケジュールをもろともせず、おしゃれな先輩に憧れ、授業後に表参道に行き古着屋を回ったり、訳のわからない派手な服を着たりしていた。先輩の紹介で居酒屋バイト(よりによって歌舞伎町の相席屋)を始めたり、大学の新入生交流会イベントの代表になったりと、大学生活を存分に楽しんでいた。

田舎者の自分にとっては何もかもが新鮮で楽しかった。12年間田舎町にいた反動から、東京という街を最大限に楽しんだ。

大学2年

1年生で思いっきり遊んだ反動で、2年生になりふと自分は何をしに東京に来たのかと考える日々が続いた。おしゃれなカフェ店員へのミーハーな強い憧れから(上京民は共感してくれるはず)、表参道のカフェバイトに応募し研修を受けたりもした。しかし、"時間を切り売りしてお金稼ぐのは自分がやりたいことなのか..."というなんとなくのもやもやが晴れず、結局そのバイトは始めず、たまたま見た広告で知った"インターン"を探すことになる。

大学2年の夏、インターン募集情報サイトで一番大々的に採用広告を出していて、一番カッコいいオフィスだった六本木のIT企業でインターンを始めた。入ってみると社員150人くらいに対してまさかのインターン生は自分1人で、経営陣とも近くいろいろと話をさせてもらえた。

そのインターンでは、広告運用や新規事業の企画提案などをやらせてもらえた。(今思うと恥ずかしいような企画ばかりだったが笑)  当時はインターネットの仕組みも全く知らなかったが、その魅力にどんどん惹かれていった。

上京前から思っていた、"ラジオのようなものを作りたい"というふわっとした想いは、"インターネットという力を活用したプロダクトを作ることだ"と、この時に気づき始める。

起業しようとするも失敗

話は変わるが、好奇心旺盛で新しいもの好きであった僕は、大学2年、2017年の春にブロックチェーンと仮想通貨を知った。金融市場にも元々興味があり、さらにインターネットにも興味を持ち始めたこの頃、"金融×インターネット"の新たな技術に魅了された。

ブロックチェーンに強い興味を持ち、インターン先の社員に後押しされる形で当時のインターンを辞め、自分で事業をやりはじめることになる。当時の学生起業あるあるだが、僕も例に漏れず(ブロックチェーン関連の)メディア系の事業を始めた。だがそうもうまくいかず最終的に半年ほどで解散した。

うまくいかなかった原因は色々あったが、特に当時自分は開発ができなかったことが悔しくて、大学3年になる前の春休みをプログラミングの勉強に全時間を費やした。この頃から、自分で"プロダクトを作る"面白さを知るようになる。その後、大学3年になりご縁がありサイバーエージェントでのインターンを始める。

サイバーエージェントでのインターン

サイバーエージェントビットコイン(当時は仮想通貨取引所をリリース予定だった)に興味があり応募したものの、インターンは募集していないとのことで、広告事業本部でAbemaTVの営業部署に配属された。当時のAbemaTVは広告マネタイズが立ち上がり始めた時で、組織も若く勢いがあった。

テレアポから提案資料作成、実際のアポまで本当に自由にやらせてもらえた。内定者の先輩方も仲良くしてくれて、若くて活気のあるサイバーエージェントという会社の中身をたくさん知ることができた。

またこの辺りから少しずつインターネット業界やITプロダクトのことが体系的に分かるようになり、"ラジオのような"広く使われるtoCインターネットプロダクトを作るPdM(Product Managaer)というポジションが自分がやりたいことに近いと感じ、toCのPMを目指そうと思い始めた。

シリコンバレー留学

"もっと広い世界を見たい"と思って田舎から大都会東京に来たら、本当の意味での"世界"を見たくなり、グローバルに飛び出したいとの想いが強くなった。インターネットに興味を持ったこともあり、せっかくであれば世界で一番インターネットの街とも言えるシリコンバレーに行こうと決意した。

大学3年の後期から1年間休学しシリコンバレーに渡米した。サンフランシスコ州立大学というところに通い、International Businessを勉強した。

もちろん留学当初は英語も全然できなかったが、自分の留学の目的は英語を学ぶことだけではなく、シリコンバレーを自分の目で見ることであったため、拙い英語で毎日のようにミートアップに参加した。

起業家のピッチなどいろいろなミートアップが開催されており、ミートアップでできた現地の友達に、GoogleやAirbnb, Uberなどのオフィスを見学させてもらえた。

サンフランシスコはどのカフェに行ってもMacbookでエディターを開いている人がいるくらい、エンジニアがそこら中にたくさんいる。僕も負けじと個人開発でWebアプリを作ったり、受託開発をしたりしていた。

シリコンバレーに1年間身を置いたことで、自分の中の世界は間違いなく広がった。

ByteDanceでインターン開始

日本に帰国後、シリコンバレーで目の当たりにしたような急成長ユニコーン企業の中を実際に見てみたいとの思いで、TikTokが盛り上がり始めていたByteDanceで2019年6月からインターンをすることになった。当時はまだ日本オフィスも規模は小さく100人ほどで、1フロアでかなり空席があるくらいだった。
 
TikTokのコンテンツチームに配属になり、TikTokアプリ内外の企画周りに携わらせていただいた。

当時はまだまだ、"TikTok = ダサい,ダンスアプリ, JKのアプリ" というイメージがあり、使っていると公言している人が僕の周りでは少なかった。イメージのリブランディングも含め、TikTokのコンテンツ企画のお仕事をいろいろと体験させてもらえた。

広告プロダクトのPMMというポジションに

TikTokのコンテンツチームでは、チームみんなが若くて仲良く(毎日一緒にランチに行き、一緒にTikTokを撮るような楽しい雰囲気)、とても楽しく働かせてもらっていたが、"プロダクト開発"自体に関わることはなく、"プロジェクト/イベント"を考え、実行する仕事に近かった。クリエイティビティのあるお仕事だが、アプリ内外の企画は売上にダイレクトには直結しないため、売上からブレイクダウンされたKPI(例:参加者数や視聴数など)を追っていた。

"ロマンとそろばん"という言葉があるが、もともとロマン寄りの"エモい"サービスが好きだった自分は、だんだんとロジカルさや数理的分析が求められる、"そろばん"の方にも向き合いたいという思いが生まれてきた。 

そこで、もともと"toCプロダクトを作るPdM"を志望していたことに加え、より売上に近い目標を追う仕事がしたいとの思いが強まり、たまたま社内でご縁があり新しく立ち上がった広告プロダクトのPMMチームに異動することになった。

SNS(InstagramやFB, LINEなど)のビジネスの多くは広告売上で成り立っており、TikTokも例外ではない。広告プロダクトは、マーケティングチームやコンテンツチームが獲得し定着させてきたユーザーを、売上に繋げる役割を担っている。

2020年1月、PMMチームに異動し蓋を開けてみると、Pangleというオーディエンスネットワーク(いわゆるアドネットワーク)の立ち上げの担当になった。もはやTikTokとは別物で、"完全にtoBじゃないか笑" とは思ったが、新規事業ということもありフルタイムで入らせてもらった。

SNSとして近しいFacebook社も、Facebook, Instagramなどでの広告マネタイズだけでなく、外部の提携しているアプリへ広告配信できるFacebookオーディエンスネットワークというものがある。PangleもByteDanceにとってその立ち位置のプロダクトである。

アドネットワークプロダクトは、運用型広告の中でも一番複雑性が高いといっても過言ではなく、デジタル広告全般を体系的に理解する必要があった。最初の2~3ヶ月はキャッチアップで一苦労だったが、メンターの方に丁寧に教えていただいたおかげで一定自走できるようになり、気がつけばPangleの大部分のプロダクトマーケティングを任せてもらっていた。

プロダクトマーケティングマネージャー(PMM)とは

そもそもPMMとは何か。プロダクトマネージャー(PdM)という言葉は日本でも定着してきたが、プロダクトマーケティングマネージャー(PMM)はまだ馴染みがないと思う。

最近は、SmartHR社やメルカリ社、LINE社でPMM採用をしていることもあり、これから日本でも広がっていく職種なのではと思われる。
SmartHR社のPMM解説記事
メルカリ社のPMM採用
LINE社のPMM採用

一方、シリコンバレーをはじめとするグローバル企業ではPMMは一般的な職種になっている。現にシリコンバレーで出会ったGoogleの友人もPMMだった。

PMMは、プロダクトの市場投入戦略とその成功全体に責任を持っている。Go-To-Market Strategy(市場投入戦略)を策定し実行することが一般的にメインの業務であると言われている。

PMMの具体的な業務

僕らのような広告プロダクトのPMMは、営業と開発のハブとなる立ち位置になり、それぞれの橋渡しを行う。開発チームは広告プロダクトの機能を開発し、営業チームは広告主や代理店に広告営業を行う。

PMMは、マーケットリサーチやヒアリングを通して市場ニーズを開発側へフィードバックすることと、新機能などのデリバリーの両方を担っている。もちろん、ただ単に伝書鳩になっては介在価値がないため、マーケットの売上に責任を持ち、どのプロダクトに注力すべきか、どのように拡大すべきかなどの優先度付けを行い、マーケット独自の戦略(Go-To-market Strategy)を策定し営業チームと協力しながら実行していく。

また、TikTokはグローバルプロダクトなため、各国それぞれにローカルのPMMがいて、ローカルのPMMどうしやHQのPMMと会議を行う。例えば、日本でうまくいったナレッジがあればEUなどの他国のPMMにシェアをし、他国でのプロダクトマーケティングに生かしてもらう。PMMは、グローバルのスケールメリットを生かした組織体制になっている。

ByteDanceのPMMチームがどのようなことをしていて、どんな人を求めているのかは、僕の上司がインタビューで答えていたので、ぜひこちらを見てみてください。
営業と開発をつなぐ部署「PSO」のPaulさんの「ゼロからイチ」から学んだことの話

まだまだ僕は新米PMMなので、"プロダクトマーケティング"をしっかりと身につけていきたい。

突然始まった正社員選考

PMMチームに異動して3ヶ月ほど経った、2020年3月の木曜日、突然人事から正社員選考受けませんかとの連絡をいただいた。(後から聞いたが、同じチームの方々が後押ししてくれていた) 週末明けの月曜日に英文履歴書を提出すると次の日に一次面接、そして金曜日に二次面接、翌週月曜日に三次面接をし火曜日に最終面接を行なった。

最終面接は、広告プロダクトのグローバル責任者で、「組織の成長と共に機会は生まれるから、一番組織が成長していく会社にいくと良い、それがByteDanceだ」と言われた。

普段から業務のスピードのはやさには驚いていたが、内定まで2週間で全てが終わったこのスピード感にはさらに驚いた。

当時は就活真っ只中で、主にPdM職としての新卒ポジションをいろいろ探していた。ありがたいことに興味のあった会社の多くからオファーをいただき、いろんな選択肢を長い時間かけて考えさせていただいたが、最終的にByteDanceに行くことにした。

一番の決め手は、"未来の不確実性"。どの会社よりも、1年後の未来がいい意味で見えない、3年後なんて全く想像できない。激しい荒波がありながらも乗り越えた先は壮大な景色が待っているのではないか、そんな不確実性がおもしろいと思った。 (この意思決定から1年半経った今振り返ると、この1年半の間に全く想像つかなかったことがたくさん起こり、濃密な時間を過ごせられたと思う)

TikTokが開く世界

会社としての"未来の不確実性"は高い一方、プロダクトの無限の可能性には確信していた。はじめてTikTokというアプリを知ったとき、感動した。レコメンドエンジンの機械学習の力により、物理的な制約(物理的だけでなく機会的制約も含め)を取っ払い、誰にでもどんなものでもスポットライトが当たる可能性のある新しいプラットフォームに純粋に共感した。

地方出身だからこそ感じていた物理的な制約というのは、TikTokが取っ払ってくれたとさえ感じた。

"いいコンテンツがいいと評価される"世界を、アルゴリズムの力で作れるのはとても素晴らしいと思う。

なぜ広告なのか

前提として、広告にこだわりは一切ない。(こんなこと言うと怒られそうだが笑)  もともとtoCサービスが好きで、toCプロダクトに関わりたいという思いは今でも変わっていない。ただ、関わり方に対する捉え方が少し変わった。

TikTokをはじめLINEやInstagramなど、幅広く使われているtoCプロダクト(SNS)の多くは広告マネタイズで成り立っている。そして、東京のJKも地方のヤンキーもおばあちゃんおじいちゃんもみんな無料で使えている。言い換えれば、広告のおかげで広く使われるtoCサービスが成り立っていると言える。そう考えると、toCプロダクトのマネタイズを支えるプロダクトに関わるのも面白いと思うようになった。

経営や経済なども好きで数字にも抵抗がなかった自分は、マネタイズプロダクトに関わり直接的に売上に影響を与えるポジション(=そろばん要素が強い)は、向いているのかもしれないと思うようになった。

また、ByteDanceの広告売上は急成長している。

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その売上を生み出す広告プロダクトも日々進化しており、たくさんの新しい機能もリリースしている。そんな瞬間に、携わられるのはとても貴重な機会だと思う。

また、エモい瞬間が生まれるTikTokというロマンのあるサービスを、広告プロダクトというそろばんの視点でお仕事できているため、今の仕事は僕にとって"ロマンとそろばん"のバランスが取れていると思う。

もちろん、将来的には広告に限らず"ロマンとそろばん"のバランスの取れたお仕事もやってみたいと思う。

今何をしているのか

2020年1月にPMMチームに異動してから一貫してPangleというオーディエンスネットワークと、TikTok for Business運用型広告全体の最適化機能周りを主に担当している。また、まだまだ全体の組織が未成熟のため全体の仕組み作りなどもやらせてもらっている。

Pangleはオーディエンスネットワークのため、広告配信面となるマネタイズ支援側と、ユーザー獲得を行う広告主側の両方の向き合いがある。PMMは広告主向き合いの営業と開発のハブとなり、広告主のパフォーマンス最大化のための施策やプロダクト改善、新機能立案を日々行なっている。

日本市場は代理店文化の強い稀有なマーケットのため、日本特有のニーズや日本で受け入れられる品質基準とグローバル基準が違う場合もある。それらをうまくHQ側と認識共有し調整していくのも仕事の1つである。

働いていて感じること

ステークホルダーが多い
PMMという職種のため、ローカルの営業チームとHQのプロダクト開発チームの両方と頻繁にコミュニケーションをする。また、プロダクトニーズ把握のため外部の広告主/代理店さんにヒアリングを行うことも多い。その上、担当プロダクトも複数あるため、常に複数プロジェクトを並行して行なっている。

グローバルな環境
新社会人一発目の仕事は、4/1の朝から、他国のPMMへの日本の成功ナレッジ共有会だった。HQとの普段の関わりだけでなく、他国のPMMとのナレッジ共有も頻繁に行うため、グローバルでワンプロダクトを作り上げていることを感じられる。
また、仕様書等のドキュメントは全て英語で、HQとの会議やチャットも英語で行われるため、英語を使わない日はない。まだまだスピーキングには課題を感じているので頑張りたい。

スピード感
多くの会社は1年間を4つに区切った4半期で目標設計やOKR設定をすると思うが、ByteDanceは2ヶ月ごとでそのサイクルが回る。その分PDCAのサイクルが早く、細かな軌道修正ができる。また、reasonableな提案ができたときの速さはものすごい。逆にreasonableでないと、納得できる定量的なデータやロジカルな説明が常に求められる。共通言語はデータのため、特にHQチームはロジカル度合いがとても強い。

Connecting the dotsな世界

今振り返ると、大学時代に経験した色々なことが今となってConnecting the dotsしているように感じる。(英語、開発、広告、etc..)

"未来の不確実性"が高いByteDanceだからこそ、予想もできなかった経験や出来事がこれからも訪れると思う。良いことだけじゃなく様々な困難にも出会うかもしれないが、どんな出来事も楽しみながらやっていきたいと思う。

おわりに

最終面接で話したグローバル広告プロダクトの責任者と先月1on1する機会がありました。(PMMは先着順で誰でも申し込める機会があるのですが、この規模になってGlobal Headと1on1できる機会があるのはすごいなと思います) 

1on1の中で彼には、「新卒ということを一切気にするな、そんな概念はうちの会社にはない」とバッサリ言われました。僕自身も、"新卒だから"ということはこの会社でこれまで一切感じたことはなく(むしろインターンの時も感じたことはなかった)、年齢/経験に依らずチャンスや責任があるこの環境に感謝しています。 ("新卒"とタイトルに書いていますが笑)

また、この6月で僕はByteDancer歴3年目に突入しました。この2年で組織が急拡大し新たなメンバーがたくさん増え、古株になってしまいつつありますが、Always Day 1の気持ちを忘れずに頑張りたいと思います。

P.S. サムネイルの写真は会社Tシャツを旅行先でも普段着使いしている僕です。(最近の仕事の写真がなかったので笑)







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