点を打つという価値について【2月11日】
今日は、SUPER BEAVERのライブに行ってきました!!!
その中のぶーやんの言葉が素敵すぎて、自分自身が思ったことを忘れないようにここに書き記しておこうと思います。
※これからツアーに参戦する人は、もしかしたらネタバレになっちゃう可能性ありなので、そんな人はここで読むのストップしてください。できる限りネタバレにならないようにするけど、どうしてもネタバレしちゃう部分があります。ごめんなさい!!!!
SUPER BEAVERの背中の見せ方
去年の11月に【背中の追い方】っていうnoteを書きました。
ビーバーって、まさにこういう背中の見せ方をすると思うんです。
あなた"たち"ではなくて"あなた"と一対一の勝負をしにきている。音楽をやりに来ているというスタンスからも感じるけど、わかりやすいもので括らない。
お前はお前だって常に伝え続けてくれるし、お前はお前で大丈夫だって何度だって教えてくれる。
応援の仕方、背中の見せ方はそれぞれだけど、こういう応援はやっぱり自分を許せる。自分は自分でしかないことを、しっかり受け止められる。少なくとも僕は、誰かと関わるときにこのスタンスを崩したくはないなって思います。
新曲「幸せのために生きているだけさ」の中にもこんな歌詞があります。
こういうことだと、本当に強く想います。
点を打つということ
これまで、たくさんの先輩に、経験という点を打っておくことは大切だと教わってきました。
でもこの点というのは、あくまで必然的に何かに繋がるものでは決してないということも同時に学んできました。
繋がるかもしれないし、繋がらないかもしれない。
それでも、「繋がれ!」って願いを込めて未来におくり出す。そういうものなんじゃないかなって思っています。
点を打たないと、願うこともできないし、願いが叶うこともありません。
だから叶わないかもしれないけど、とりあえず願うためにも点は打って見るべきだと思っています。
でもこれだと、結局なんで点を打つ必要があるのか、その価値みたいなものってまだよくわからんという感じがします。
点を打つ価値って何か
今日、ぶーやんがMCの中でこんなことを言ってました。
これでピンときました。
点を打つ価値っていうのは、【その点を起点に誰かと繋がる可能性があるから】なんじゃないかって思うんです。
それぞれの人生を歩んでいて、ただひとり、ただひとつの過去を背負って。
これが全く重なるということは決してない。
でも点を打っておくと、それが起点に、そんなひとりとひとりが"出会う"その可能性がある。
そして、人と人との出会いである以上、それは必然にはできない。
だからこそ、その点が人との出会いに繋がれって願う。
点を打つことの価値って【人と出会う可能性がある】っていうことなんじゃないかって僕は思っています。
出会いが人生の全てだって思います。
出会ってくれた全てのあなたへ、名前呼び合えるあなたへ、このnoteをきっかけに出会えたあなたへ、過去最高のアイラブユーを届けたいです。
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