見出し画像

足元だけを見ていても面白くない。それよりも頂上を見て、そこに希望を見出すことが大事だ!!


こんにちは、りょうまです。

僕は仕事が朝から夜まで埋まっててよっぽど時間がない日以外、
ほぼ毎日ランニングをする。
身長165cm、体重59kg、体脂肪率8%の僕にとって、ランニングは脂肪燃焼の為の運動ではなく、思考を整理したり、生活を振り返ったりする貴重な時間だ。

先日、近所の公園を走っていると左側に、頂上まで登ったらとても景色が綺麗に見えそうな丘を発見し、僕はその丘の頂上まで登ることにした。

丘を駆け上がろうとすると、坂道が思ったよりもキツくて一気に足が動かなくなった。
僕は一瞬登るのをやめようとしたが、後ろを振り返ると眩しくパワーに満ちた光が僕を照らしてくれていた。
そんな輝かしい光に後押しされ、僕は丘の頂上へ行くことを決意し、また登り始めた。
登り始めた時、僕はもう足元を見ることはなかった。
視界にあるのは、頂上だけ。
あそこに行けば、このパワーに満ちた光の源を見ることができ、そして全身でそのパワーを感じることができる。
その希望だけを持って丘の上まで駆け上がった。

遂に頂上に到着し、後ろを振り返ると、それは自分が想像していたよりも圧倒的に
美しく輝いた太陽の姿があった。


そして頂上で思ったことがある。

それは、

目の前の障害物を避けるために足元を見ることは大事。
でもそれだけじゃつまらないし、時には足元だけを見ていると挫折することもある。
それよりも頂上を見て走り、そこに希望を見出し走り続けることのほうがもっと
大事なことなのではないか。
そして希望を持つことが辿り着くためのモチベーションに繋がる。


何かに挑戦するとき、新しいことにチャレンジするとき、
「しっかり足元をみなさい」と言われることがある。
足元を見ることは大事なことだが、足元だけを見ていたら何事も始めることは出来ないと、僕は思う。

何かに挑戦するときや、新しい何かを始める時というのは、
自分の中にその先のゴールやビジョンがあるものだ。
そのゴールを達成したとき、ビジョンを叶えたときの自分を想像し、
それにワクワクするから何かを新しく始めたくなるものだ。

だから先ずは頂上を見ることでしか希望を持つことが出来ないし、
自分の中からフツフツと湧いてくる熱いモチベーションを
生み出すことは出来ない。

新しい何かを始めるとき、周りから応援されることが一番だ。
でも時には否定されることがあるだろう。
それは、嫉妬から来ている場合もあるし、親だったら心配から来る否定なのだろう。

でも僕はこう思う。

周りから否定されたとき、心配されたとき、
それはあなた成功の為に言っているのではない。
親だったら、ただ心配なだけであり、周りの同僚や友達や先輩であれば、
自分から離れていってほしくない、お前だけ違うことを始めて変化してほしくないという嫉妬心である。

だから何かを始めるとき、挑戦するとき、周りのネガティブな意見、批判、文句は全て無視するべきだと思う。
その意見たちに耳を傾けるということは、頂上を目指す前に、
足元にある踏んだら怪我しそうな石や、草むらに隠れてるかもしれない虫の存在を恐れることと同じだ。
そんなことは走ってみないとあるかどうかも分からないし、いるかどうかも分からない。
結局そんなことを気にしていたら、一生その場所にとどまり続けることになるだろう。

一回しかない人生の中で、あなたはどれだけの景色をみたいだろうか。
同じ場所にとどまって、一生同じ場所からの景色を眺めることも、
それはそれでいいことだと思う。

でも一回しかない人生で、できるだけ多くの景色を見たい、多くの人と出会いたい、沢山の経験をしたいと思うのであれば、丘の頂上を見て走るしかない。
そこに希望を見出すことが出来れば、どんなにしんどいことがあっても、何かにぶつかっても、頂上まで登ることが出来るだろう。


少なくとも僕はそんな人生を送っていきたい。
このランニングで丘の上まで駆け上がったように、
頂上を見て、希望を持ち、時には足元を見て、たまに後ろを振り返って、
沢山の経験を頂上に登るまでの過程で経験し、登りきったその先にある景色を
見ながら、人生は最高だ。と思える、そんな人生を送って行きたいと思う。


今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

Ryoma Kobayashi

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?