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インタビュー若槻礼次郎(第一次若槻内閣を自伝風ショートショートにまとめてみた)

加藤高明君が病死し、私が内閣を組閣することになった
そんなころ、大正天皇がお亡くなりになり、昭和となった
加藤さんのときに起きた関東大震災からまだ日も浅く、いろいろとゴタゴタしているころだった。
「渡辺銀行の経営が危ないようです」
大蔵大臣の片岡君がうっかりすべらせたこの一言で大きな問題が起きてしまった
「えっ、渡辺銀行が危ないって?」
「それってつぶれるってこと?」
「そりゃ大変だ。預金がおろせなくなるかもしれない。早く金をおろさないと」
預金者が「金をおろします」と銀行に殺到したのだ(取り付け騒ぎ)。
確かに経営は危うかったけど、別につぶれてしまうとか、そこまでの問題でもなかったのに、片岡君の失言で、けっきょく銀行は休業(=倒産寸前)に追い込まれてしまった
それからが大変だった。次々と銀行が休業になって、「金融恐慌」になってしまった。
しかもだ。
台湾銀行の一件もこれに拍車をかけた
台湾銀行は台湾にある日本の銀行。まあ、言ってみれば日銀みたいな銀行のボス的な銀行だった。この銀行もまた経営がヤバくなった
なぜか
それは「鈴木商店」という三井三菱みたいにでかい商社がその原因だった
この鈴木商店、台湾銀行にすっごい多額のお金を借りてたんだけど、「もう私つぶれそうです、返せないかもしれません」って感じになっていたんだ
でも、もしこの台湾銀行がつぶれたらどうなる?
植民地「台湾」の経済はめちゃくちゃになる
そこで私は議会に「台湾銀行を助けようぜ」という法案(台湾銀行救済法案)を出そうと思ったんだ。
<でも議会には政敵がいて、絶対に協力してくれないだろう>
そう思った私は枢密院(天皇の諮問機関)に直接お願いをしようと思ったんだ
天皇の名のもとに緊急勅令(議会で審議しなくても天皇の名で発することのできる法令)を出してもらおうと思ったんだ
でも枢密院に反対されてしまった。困ったよ
じゃあ、いったいどうしろって言うんだよ
途方にくれた私は、それで総辞職してしまったんだ


それにしても、なぜ枢密院が反対したのかって?
それは私の協調外交が気に食わなかったんだろうよ
外相幣原くん(幣原喜重郎)は、アメリカやイギリスと仲良くやっていきましょうって方針で外交をしていた。でも枢密院は「なんだ、その軟弱な外交は。米英に媚びてるのか、おら」と思っていたらしい
それで私の内閣をつぶすためにだけに反対をしたのだという
ホントに子供かよ
まあ、つまりそんなわけで私は総辞職したってわけさね



~第一次若槻内閣のできごと~
1926 大正から→昭和へ
1927 蔵相片岡直温の失言によって金融恐慌に
   台湾銀行危機

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