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#ソロの細道
「バスケの街と車窓の眺め」”ソロの細道”Vol.4「秋田」~47都道府県一人旅エッセイ~
むかしな、秋田のくにに、八郎って山男が住んでいたっけもの。
小学校の国語の教科書に載っていた、「八郎潟」の由来を描いた「八郎」という話は、今でも記憶に残っていて、地図で八郎潟を見るたびにそのことを思い出す。
全編にわたって秋田弁で書かれたその話は、沖縄方言を日常的に使っていた私にとって不思議なリズムに思え、何度も音読をして読み返した。
そこから秋田といえば八郎潟、という印象となり、そこから「
「震災遺構と語り部がつなぐもの」”ソロの細道”Vol.3「岩手」~47都道府県一人旅エッセイ~
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ ・・・
子供の頃に読んだ宮沢賢治の一節が、私の「岩手」へのイメージだった。
そして大学の文学部での卒業論文で井上ひさし「吉里吉里人」をテーマに選び、分厚い辞書のような厚さの単行本を数か月持ち歩いて何度も何度も読み返しているうちに、「吉里吉里国=岩手」というイメージも追加された。
初めて岩手を訪れたのは二十歳を前にした大
「八戸にて酒で繋がる絆」”ソロの細道”Vol.2「青森」~47都道府県一人旅エッセイ~
18歳の頃に大学への進学で沖縄から上京してきた私は、ほとんど知識もないままに千葉県柏市に住むことになった。当時は「千葉の渋谷」とテレビで持てはやされ、街には”チーマー”と呼ばれる若者たちが溢れていた。
私はそんな文化が苦手で、柏から最も行きやすい都内のスポットである上野でよく遊ぶようになっていた。
基本的に柏から都内に出るには、当時はJR常磐線しか無いわけで、上野か日暮里で乗り換えないと何処にも
「氷の国で見た故郷」”ソロの細道”Vol.1「北海道」~47都道府県一人旅エッセイ~
南国である沖縄生まれの私にとって、雪は憧れだった。
そして日本の真逆の位置する北海道は、その雄大さもあいまって特別な場所だった。
そんな北海道の地を初めて訪れたのは、高校の修学旅行でのこと。
旅行先を決める生徒たちの投票で、「京都・大阪」を抑えて圧倒的な支持を受けたのは、我々沖縄の高校生にとっての憧れの地だったということも影響しているのかもしれない。
当時の同級生たちのうち、半分以上の生徒にと
今年の50日間チャレンジ、始めます。”ソロの細道”~47都道府県一人旅エッセイ~
今年もやってきました、一年の残り50日となる節目、11月12日が!
昨年はこの日の翌日から50日間、”いろはエッセイ”ということで連続投稿をしたんですが、これがまあ自己満足しまして。やり切った感というか。
というわけで今年も残り50日で連続投稿をしようと密かに準備をしていたんですね。
そんな中で今回はどういうテーマにしようかと思ってたんですが、せっかくなら旅行記というか紀行文を書きたいなと。