あなたに必要な雑炊 [小説 東の国⑦]

此処、東の国にある南側に属するぽこ食堂では、ありがたいことに常連さんが多くいらしてくれている。
そのほとんどがこの村の人なのだが、常連の8割ほどは獣人が占めている。
私はこの国から外に出たことが旅行を除いてほぼないのでわからないが、この国において住人の多くを占めるのは獣人である事は知っている。
ちなみに、他の種族は気候やらなんやらで別の国に割合多く住んでいるのだが、人間だけは違う。
よほど気に入らなければ基本的に何処かにに定住する事は少ない。
彼らは、異世界から来てほとんどがまた異世界に帰っていくのである。

この大陸では5つの国に分かれている事は、寺子屋に通った事のある者ならば誰もが知っている。
正式名称がきちんとあるのだが、それぞれがきれいに東西南北と中央に存在するので皆俗称である方角でその国を呼ぶのだ。
たぶん、ほとんどの人は寺子屋のテストでしか正式名称は言わないのではないんじゃないだろうか。
少なくとも私は、他国の正式名称がきちんと言えるかは怪しいぐらい口にしていない。
そして、この東の国の獣人は他の国の獣人と比べて縄張り意識が高い傾向にある。
それだからか、一度その土地に住むと代々そのまま住み続ける事が多いという。

確かに、この村も先祖代々の土地で農業や商売をしている家が多い。
逆に、旅人や冒険者はそれこそ国から国へと渡り歩くので獣人でなる人は比較的少ない。
が、しかし中には商才は無いが魔法がやたら強いだとか、力仕事はからきしだが隠密のスキルは生来からの物なのでそのまま魔法も併用して洞窟内だけチート級に強いだのという、特定の分野のみ異常に強いという特性を持つ獣人の種族も居る。
なので、兼業の人も居ればそうでない人も居るが特に獣人はあまり引っ越さないという少し特殊な国でもある。
さて、本題に戻って人間はどうなのか。

先ず、彼らは基本的に中央国において条件が合致した場合にのみ召喚されるらしい。
その場所も召喚魔術の術式も、何もかもが一部例外を除いて他国はもちろん、中央国の国民にも知らされていない。
そして口止めをされているのだろう、お客で来た異世界人もその話は一切しない。
そして、中央の国で諸々の手続きや説明が終わった後に彼らはどのように生きるかを決める。
しかしどういうわけか、彼らは一定の場所に住むこと無くまずは各国を渡り歩く冒険者としてスタートするのだという。

とまあ、ここまでは私が遥か彼方昔に寺子屋で習った内容である。
どうやら忘れていなかった様で一安心だ。
ちなみに、先程これが間違えていなかったかと確認のために開いた昔の教科書には、空いている所に子供時代に私が考えた夢の様な丼の落書きがいたるところにあり大変に恥ずかしい思いをした。
一緒に見ていた人に「ああ、このハンバーグが乗ったどんぶりはロコモコ丼ですね」と指摘されたからである。
なお、この指摘をしてきた相手はカラスではない。
彼は今、仮眠を梁の上で取っている。
指摘した人物は、年齢を30代後半の男性で異世界にほん?のさらりぃまん?とかいう種族の人間らしい。
本来ならば中央の国にて召喚されるはずの彼は、魔法の誤作動なのか何なのかはわからないが、三軒お隣の家の物干し竿に引っかかっていたのである。

時刻は、お昼のピーク時が少しすぎたあたりだっただろうか。
今日は時期的にお客さんも少なくカラスの出前も無いので、私は配膳をメインでカラスは裏で食器洗いをしていた時に外から甲高い悲鳴が聞こえた。
何事かとお客さんとそろって表の様子を見てみれば、表通りに三軒隣の雉の奥さんが力強い足取りでさらりぃまんの洋服を引っ張って引きずっていた。
なお、物干し竿が両袖に通されているので若干引きずりづらい様子ではあったのだが。
雉の奥さんを見て、先程の悲鳴がこの三軒隣まで聞こえたのには納得した。
大変よく聞こえたので状況も聞くまでもなく分かった。
「何で人の家の物干しざおに引っかかってるのよ!」
「あんたみたいな人間の知り合いなんていないわよ!」
「無断で入って泥棒なんじゃないのあんた」
「ただのさらりぃまんとか言われても、さらりぃまんなんて種族知らないわよ!」
とまあ、相手が口を開く前に剣幕もさることながら次々と繰り出される怒鳴り声に気圧されたのか、先程からさらりぃまんは「あ」だの「いえ」だのしか言えていない。
わかるわ、私もあの剣幕で言われたらちょっと泣いちゃうかもしれないもの。
と、遠巻きに見ていたのだが、そんな私の内心が読まれたのか雉の奥さんは顔を上げて私と目が合うとそれを引きずりながら急にこちらにやってきた。
「今奉行所に人を呼びに行ってもらっているんだけど、私の様にか弱い主婦にはとてもとても凶悪犯と一緒に居るなんてできないわ。
逃げられても困るから女将さんこれ預かってくれない?
私と違って、女将さんならば人間なんて怖くもなんともないでしょう?
よろしくね!」
一気に早口で捲し立てられれば、グイっとそのままさらりぃまんを預けてスタスタと雉の奥さんは家の中に入っていった。
か弱い?主婦?え?貴方もお店の女将じゃない?と色々とツッコミを入れようと気が付いたときには、すでに彼女は自宅兼骨董屋の店先にて接客をしていたのである。
本当に人に押し付けるこの手腕は見事だわ。
と内心呆けながらズルズルとさらりぃまんを店内に持って帰ったのだった。

先程からお互いに雉の奥さんに気圧されていた仲だからか、妙な仲間意識の様なものが芽生えたらしく、お互いにペコペコとしながらも店内に入ってくればガツンと大きな音が店内に響く。
このさらりぃまんとやらは洋装にしては随分とくたびれた洋装を着ており、その両腕に通っている物干しざおが大黒柱にあたったのだ。
その音に驚いたカラスが飛び出てきたことでようやく私はいつもの調子が戻り、カラスに急いで暖簾を下げる様にと指示を飛ばした。
店内のお客様は先程の騒ぎの間に帰ったらしく、店内に誰も居ないのが今は幸いである。
そうしてカラスが戻ってくる間に物干し竿をなんとか引っこ抜けば、さらりぃまんもネクタイの真ん中あたりを掴んで身なりを整えながらありがとうございます。と再びペコペコと頭を下げた。
「まあ、とりあえず座ってお茶でも飲みながら人を待ちましょうか。」
「え?いいんですか?自分で言うのも何ですが、見ず知らずの私にいきなりお茶をごちそうしてくださるなんて。」
「いえいえ、これでも私はこの店の女将でしてね。まあ、見ず知らずのお客様なんて毎日いらしていただいています、し何より私の他にも従業員は居ますので何かしようと思ってもとても出来ないかと」
「ははは。確かに今なにか問題を起こそうなんて考えは微塵もありませんよ」
そう言いながら何故か彼は若干声を震わせながら、視線を反らした。
まあ、知らない土地であんなに一気にまくしたてられたのだから怖くもあるだろう。
それに、逆によからぬことを考えていたとしても、先ほどの言い方でけん制したのは多分相手もわかっているとは思う。
そう、私は従業員が何人いるかとは言っていない。
なので、確かに従業員は居るがそれがカラスだけと悟られない様に、意味ありげに二階へと続く階段を見ながら話したのだ。

しばらくしてカラスは先ほどの話を聞いていたのか、指示をしなくても適温のお茶を持ちながら帰ってきた。
これが日々の賜物という物だろうか。内心ひそかに次の指示をしなければと考えていた私はその成長に感動していた。
そして、そのお茶を出せば自分も私の隣に座って大人しくしていた。
いつもなら横から口をはさむのが基本の様なカラスのこの対応に、内心お赤飯をこさえようかと考えていたことは内緒である。
そうこうしているうちに、さらりぃまんは説明をし始めた。
職業は「いわゆるブラック企業」という商店で働いていたらしい。
そして、希望は無くかろうじて生きているという心境で働くのが心身の良いわけもなく、日々を絶望の中生きている時に、向こうで流行っているらしい絵巻物の内容である異世界転生をしてみたいと考えていたとのこと。
それで朝起きてみたら体が動かずにどうも腕が突っ張っているので、寝違えでもて変に腕のスジを痛めたかと考えながら目を開ければ、いつもの出勤の恰好で物干し竿で干されていたというのだ。
異世界の人が転移できるのは知っていたので、冒頭の説明をするために寺子屋時代にもらった教科書を引っ張り出して説明をした。
その際に落書きの事を指摘されたのである。

更に、出していたお茶を警戒することなくそのまま笑顔で「緑茶だ」と飲み干し、定食の内容を軽く説明した時にわかるわかると私の知っている料理の話から、知らないが内容を聞けば美味しいであろう料理まで味覚がほとんどこの東の国と酷似している事が判明して驚いたのだ。
なお、カラスは途中で大丈夫と判断したのかお昼寝に入ったというわけである。
「ちなみに、私に何か特別なスキルってありますかね?異世界転移で無双するみたいな」
「それは知らないわよ、冒険者ギルドでもあるまいし。食堂の女将がそんな技術も装置も持っているわけないじゃない。」
そう話せば、目に見えて肩がしゅんと下がった。
もしかして、何か特別なスキルとやらが欲しかったのだろうか?
しかし、魔法の勉強もしてないのにいきなり特別なスキルとやらが欲しいとはこの異世界人は、見た目によらず強欲なのかもしれない。

そうして話していれば、大きな音が店内にグーと鳴り響いた。
カラスの寝言ではない以上、この音の出所はと視線を目の前の人物に移せば顔を赤くする。もちろん、さらりぃまんからだ。
しかし、自分はこの国のお金を持っていないと手を左右にせわしなく振った。
だけども、この私のぽこ食堂で空腹でいるのは私のポリシーに反する!
「お代はいりません!どうしてもとおっしゃるならばいつか返しに来てくれれば結構ですから少々お待ちを。簡単なものになってしまいますが」
そう言いながら急いで厨房に引っ込めば、まずはおひつを確認する。
そこにはまだお昼に炊いていたお米が若干残っていたのを確認して、一人前の小さな土鍋を用意する。
根菜類を切り、冷ましておいただし汁を使って野菜を炊く。
いい具合に煮えてきたら灰汁を取り、先程のおひつからざるとっておいた冷や飯を水で洗い流してぬめりを取る。
それから先ほどの土鍋に冷や飯を入れて再び火にかける。うちではこのタイミングで少量の醤油を入れて味を調える。
なお、ご飯は先ほどぬめりを取っていたためさらさらである。
出汁が沸騰したら溶き卵を回し入れて火を止める。
刻み葱を入れて、ぬか漬けの小鉢を添えてあるお盆に乗せれば雑炊定食の完成である。

「熱いから気を付けて」
の言葉と共にさらりぃまんのテーブルに出せば、手を震わせながら「いただきます」と頭まで下げてから土鍋の蓋をとった。
湯気と共にこちらまで漂う出汁の香りに、無意識にか深呼吸をしているさらりぃまんの頬はやはりゲッソリとこけていた。
本当に出来立てで熱いからか、レンゲにとっても息を吹いて雑炊を冷ます目元もよく見れば若干隈ができていた。
そう、このさらりぃまんは弱っていたのだ。
気が付いたのは、物干し竿を抜いたときの事。
本来、何か痛かったりした時にはその部分をさすったりするだろう。
最初彼は腕が突っ張ったのでとの話から腕をこする等していたら気が付かなかったかもしれない。
しかし、彼は最初ネクタイを掴んでいた。
身なりを気にするならばネクタイの位置を整えるかもしれないが、その場合昔見た他国の人はタイを直す時には首元に手をやって直していた。
それに比べてあの時の彼は人間で言う胃の位置に手をやっていたのだ。
あれは、多分癖なのだろう。誰にも気が付かれない様に傷んだ胃を撫でていたのではないかと思ったのだ。
もちろん、それだけでは無い。
その仕草だけなら偶然の可能性が高いが、彼は自分の世界の話をする時に『絶望』という言葉を使ったのだ。
誇張をするときや比喩としての単語ではなく、会話の中に絶望の言葉が出てくる事は私の経験で言うならば、かなりしんどい時にしか出ないと考えている。
それでいて、一日の大半を過ごす場所がしんどくなるということは相当大変だったのだろう。
さらに、先ほど教科書を見せた時に目の下の隈やこけた頬に気が付いたのだ。
簡単ではあるが、今の彼には少しでも体に優しい物が必要だと思い用意した雑炊だったというわけである。

三口ほど口にしたところで、急に彼は下を向いて食べ始めた。
私は極めて自然な動きになるよう気を付けながら、囲炉裏の火加減を見ているフリをしながら灰に火掻き棒で落書きを作り始めた。
きっと、さらりぃまんには私の背中しか見えていないだろう。
「美味しい。ようやくごはんの味がした…。」
と涙声で呟く声は気が付かないようにして、私はお花の落書きを増殖させていった。
奉行所の人が来るはずなのだが、できれば彼がこの食事を終えるまでは来ませんようにとの願いを込めて…。

余談だが、カラスはお昼寝からとっくに覚めていた様だが、さらりぃまんが泣き出してしまい梁から降りれなくなり、気が付けば奉行所の人が来るまで梁を何度も往復していた。
その回数は朝の修行の2倍以上になったらしく、夜の営業時には若干足元がフラフラしていた。