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遥かに上がるや雲の羽風  羽生結弦の「天と地と」

 2020年12月26日フィギュアスケート全日本選手権男子シングルフリー最終滑走。
 勇壮な金管の調べとともにきりりと頭を挙げ、出陣した羽生結弦。曲は上杉謙信を主人公とした海音寺潮五郎原作の大河ドラマ「天と地と」のテーマだ。8の字を描くように滑らかに周回し、すいっと離氷するや細い軸を作ってくるくると4回転ループを回り、ふわりと氷上に降り立った。荘重な琵琶の響きが場面転換を告げるが、羽生のスケーティングは途切れない。左右の腕の流れるような所作で天地を鎮めつつ、入り組んだトランジッションを経て飛び立つようなサルコウジャンプ。4回転のはずだがまるで3回転ジャンプのように軽やかだ。
 まったくミスしそうな気配がない、何かが乗り移ったような安定感。
 燦ざめく陽光を思わせる琴の爪音よりもさらに華やかなトリプルアクセル&両手を挙げたダブルトウループのコンボを見せ、ひと呼吸したかどうかいうほどのわずかな間の後に跳ぶのは3回転ループ。どのジャンプも複雑な調べにピタリと揃っている。そしてフライングから繊細な変化が目を奪うスピンへ。本当にどうやって呼吸しているのか。
 大きく上体をしならせ、旋回し、風を操るかのように舞いながら、片足だけの煌びやかなターンとステップが続く。そよぐ前髪までが振付の一部ではないかと思うほどに情景を際立たせる。翻る衣装の手元、なびく裾が羽衣のよう。軍神にしては甘すぎる彩りだがおそらく「天」を象徴しているのだろう。霞たなびくような空色を背景に少しエキゾチックな曲線をなして金糸で縫い取られた枝、ふっくらと淡く彩られた花々は室町末期に武将たちが好んだという辻が花染めの沙羅双樹に似て、背に遊ぶ二羽の鳥が愛らしい。
 揺蕩うようなしなやかさは飛天を思わせるけれど、微塵の隙もなく空間を制圧し続ける鋭い表情とオーラは天軍を率いる毘沙門天、それとも冷徹にして美麗なヴァルキューレか。

 後半に入ってもまったく揺らがない見事な運びで4回転+3回転の連続トウループ、さらには破壊的な4回転トウループ&オイラー&3回転サルコウを披露し、叫ぶことを許されていない観衆を翻弄する。高らかに突き上げた左手は勝利を宣言するかのようだ。ジャンプの理想を体現するようなトリプルアクセルからツイズルへ、そして羽生結弦を象徴するイナバウアー、ハイドロブレーディングで作品にくっきりと署名を残し、荘厳な琵琶の響きに乗って素晴らしい制御力を見せつつ留めの2つのスピンへと入って行く。
 繊細な手の動きに装飾され、撥音とともにポジションチェンジする典雅な回転。まるで弾き手がこの場で羽生の動き追って弾じているかのようにシンクロしている。
 回りながらするすると姿勢を伸ばし、花弁がほどける様に上体を反らせた羽生は両腕を高く差し伸べ、天を仰いで舞納めた。
 まさに

  神は上がらせ給いけり

の姿だった。

「神は上がらせ給いけり」とは、神が顕れたり巫女や霊媒に依り付いて神楽などを舞う能の最後、神が憑代や地上を離れて天に帰っていく様を謡う言葉で、神の能・脇能(略脇能)である「巻絹」「加茂」「雨月」などに出てくる。私の大好きな「龍田」も、まさにこの謡に送られて秋を司る龍田姫が昇天するシーンで終わる。
 羽生のコレオシークエンスが想起させたのは「右近」の見せ場だ。京都北野の春を舞台とする脇能「右近」では花の宴と優雅な古歌のやり取りに誘われ、クライマックスに桜葉の女神が出現する。

  月も照りそふ花の袖
  雪をめぐらす神 神楽の
  手の舞 足踏み 拍子をそろへ
  声澄みわたる雲のかけはし
  花に戯れ 枝にむすぼ々れ
  かざしも花の 糸桜
  治まる都の花盛
  東南西北も音せぬ浪の
  花も色添ふ北野の春の
  御池の水に 御影を映し
  うつしうつろふ桜衣の
  うら吹き返す梢にあがり
  枝に木伝ふ花鳥の飛ぶさにかけり
  雲に伝ひ 遥に上るや雲の羽風
  遥に上るや雲の羽風に
  神は上らせ給ひけり

 花吹雪舞う月明かり、輝く衣を身に纏い、髪にかざした枝垂れ桜を揺らつつ、女神は爛漫と咲く花を愛で、治まる御代を言祝いで美しい手振り、足取りで舞う。花に戯れる鳥さながらに枝から枝へと飛び渡る様を鏡のような池の面に映し、高く高く舞い上がって雲間に消えてゆくその姿。「羽風」とは鳥や蝶の羽ばたきが呼ぶ風を指すという。女神を守護する迦陵頻伽の羽ばたきだろうか。

「治まる御代」と謡えば何とはなしに為政者・権力者の支配力や統治能力をたたえているようにも聞こえる。しかし、この能は地方から出てきた神職(筑波の鹿島神宮、常陸国一宮であり東国随一の神社の神官です)が名高い右近の馬場の花見に出かけ、庶民も、立派な車に乗った美しい上臈たちも、おそらくは神も、押し合いへし合い入り混じってともに花を楽しむ平穏無事な有様を喜び、人に姿を変えて見物していた女神がその心に共鳴して舞うという筋立てだ。作者・世阿弥の時代に愛されたが故の波乱に満ちた生涯を思うと、その心底に心置きなく美を愛で、音曲を愛し、寄り添いあえることへの強い憧憬があったとしても不思議ではない。

 春の花見、花の宴の始まりは、鎮花祭、すなわち花鎮めだという説がある。春先から疫病が流行ることが多かった古代から中世にかけ、春の終わり、散る花とともに悪疫が広がると考えた人々は「やすらえ花よ」、すなわち「花よ 散るな」と祈り、歌い、舞った。紆余曲折を経てこれまでとは様々に異なる形で、苦難の2020年の最後に開催された今大会。沙羅双樹の花を背負って舞った羽生もまた時代の祈りに共鳴・共振しているように思える。苛烈な戦に生きつつ平穏と魂の救済を求めたという上杉謙信の物語として始まる羽生結弦の「天と地と」だが、その終わりは、まるで災厄が鎮まることを願って神楽を舞納めたかのように見えた。
 今回はコロナ禍によって歓声やプーシャワーが許されなかったためか、演技終了後の緊張感も少し違っていた。羽生は表情を引き締めたまま四方に深く礼をし、一瞬、初期の「SEIMEI」でしていたバッククロスロールを見せてからリンクを去った。その足取りが邪気を祓わんとする反閇に見えたのは私だけだろうか。

 振り付けがリモートだったこともあり、ショート、フリーの2曲とも羽生自身が大きく携わったと聞いた。対面と違い微妙なやり取りができにくい状態で、羽生自身が動きやすくしっくりと収まるタイミングを図り、曲と振り付けの双方を自らの呼吸に合わせて調整していったのかもしれないと想像した。大変な鍛錬を経て仕上げているのだろうけれど、まるで曲も振り付けも掌の上で自在に転がしているかに見える。細かい動きなどはこれからさらに洗練されていくことだろう。音楽にもスケート技術にも傑出していればこそで、当面の間これを超えるものを見せられるのは羽生本人を置いていないに違いない。アスリートだけにもアーティストだけにも、ほかのどんな枠にも収まりきらない、稀有なる発信力を備えた大きな才能。この苦難の時代にあっても輝き続けてくれることが何より嬉しい。

P.S.

 それにしても、キス&クライでのWINNIE THE POOHとの寸劇はとんでもなかった。POOHが滑り落ち、羽生が「あ…」とそれを見下ろした瞬間からの絶妙な間。彼がどうするのかと数億の目が吸い寄せられたことだろう。POOHを抱き上げ、インタビューに答えるときとは全然違うスイートな声音でいたわり、「ソーシャルディスタンス!」とアクリル板を隔てたコーチ席に座らせてツンと無邪気に頭をつついた姿に、世界中で「萌え」が炸裂する音が聞こえるようだった。彼が人類を骨抜きにするためにほかの星から送り込まれたハニートラップだとしたら、すべてはもう手遅れかもしれない。

2021/01/05公開   2021/01/06加筆修正

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