写真展が終わって、ふりかえりと感想

写真展お越しいただきありがとうございました

7月に実施した写真展から半月、ようやく落ち着いてきたので、写真展を振り返っていきたいと思います。お越しくださった方々には感謝しかありません。

ネガの準備は大体1年くらい、プリントは2か月くらい

写真展のギリギリまで撮影もプリントも続けていましたが、開始したのは大体1年前くらいで、ネガを整理して焼き始めたのが2か月くらいでしょうか。ネガの本数はたぶん50本くらい、印画紙は60~70枚くらい使って11作品を作成しました。
消耗品で7~8万円、額装用の用品で4万円くらい、その他諸々合わせて展示費用は15万円くらいかかっていることになります。その半分の消耗品代は、趣味でカメラやってる限り発生するのと、額は今後も使えるので、そこらへんは考え方次第ですね。

本気を見せる事の覚悟と楽しさ

前回の展示前の記事でも書きましたが、写真展をするというのは今の自分の全力の発表会ということで、緊張感があります。1,2枚の作品を作成するだけなら、1本のフィルムからセレクトすれば季節や光線状況の共通した良い感じの作品が出せたりするのですが、10~20の作品となると整合性を考慮するのが結構大変だったりします。
しかしながら、そういうプレッシャーの中で精魂詰めて作成したプリントというのは、自分で見てもかっこよく見えます。良い例えかはわかりませんが、魔王が四天王を育て上げたような、頼もしさと共に、そういう可愛げもわいてきます。出来上がった作品に関してはウチの子可愛い自慢みたいな部分もありますね。

なんとなくのセンスだけでは一歩及ばない

写真をやるような人というのは、えてしてソコソコの器用さがあって1~2作品くらいであれば、器用さと少々の粘りでそれっぽいものを作れるような人が多い気がします。
しかしながら、充実したボリュームのモノには中々ならない事も多く、そのためには何となくの器用さとセンスだけではなく、どういう被写体が好きか、どういう諧調が好きか、など自分と向き合って、作品の全体での哲学を見つける必要があります。
これこそが気軽な遊びと趣味の境界な気がしますが、器用さの延長で撮れたそれっぽいストリートスナップやポートレート, 風景写真のなかから、申し訳ないが趣旨に合わないものは削ぎ落し、残した部分をより尖らせて、さらなる撮影とプリントを繰り返していく作業が必要で、ようやく生み出された作品群は自らの思想を浮き彫りにします。この残酷な取捨選択こそが、単なる手遊びに終わらないという事ではないでしょうか。

誰かが見ることで輪郭が生まれるから、写真展をしよう

誰かが、自分の写真について語っている様子というのは結構面白いものです。写真の上手い下手とかそういう次元の話ではなく、自分の写真をみて何を感じ、どう思ったか、そういう話を聞いていると、誰かが自分の噂話をしているのをこっそり聞いているみたいで楽しいです。
自分の撮っている写真って一体どういうもので、周囲からはどのように思われているのか、どういう風に受け止められているのか。そういう事を知ると自分自身の理解も深まりますし、さらなる作品への考え方も広く深くなります。
気楽にやってみよう、とは中々言えないですが、写真が好きで堪らないのなら、一度はまとまった作品を撮りためて展示をしてみるのが楽しいと思いました。またやりたいと思います。


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