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30年もののマキネッタで、唯一無二のコーヒーを。

最近、大好きだったコーヒーを飲む機会が減ったように感じる。こんなことは教育上差し障りがあるのかもしれないが、私は一丁前に、5歳くらいからコーヒーを嗜んでいた。
嗜んでいた、なのだから飲んでいたというわけではない。父の仕事に同行して、コーヒー市場でフレッシュなコーヒーを口に含んだり嗅いだりする父の横で、香りだけは存分に味わってきた。焦げたような、酸っぱいような独特な香りは幼い私を虜にした。だから、コーヒーは味ではなく香りを愉しむものだとずっと思ってきた。

ただ、その後コーヒーを日常的に飲むようになっても、特別味にこだわったり、湯加減や抽出やら、豆の産地やらスペシャルティやら、そういったマニアックなことにはあまり興味をもつことはなかった。気が向いたときに、当たり前に飲む。それが私とコーヒーの距離であり続けてきた。

そういえば、コロナ期間で喫茶店に入ることが難しかった時期が続いたことや、のんびり喫煙できる喫茶店が減った(もうかれこれ10年も紙巻き煙草はやめているのだが)ことも、コーヒーを飲む機会が減った一因かもしれない。
私はいつでもどこでも、ブラウンを基調とした、ドアを開けるとカランと音が鳴るような、ところどころ赤茶色のソファがテープで補強してあるような、なるべく昔ながらの「喫煙オッケーの喫茶店」を探して入ることにしてきた。

そういう昔気質をプライドに、温もりのある折り目正しいサービスをする喫茶店もまだまだあるが、こういう喫茶店の見つけ方では、ときどき破茶滅茶なお店に出会えるのもまた楽しい。
先日久しぶりに訪れたお気に入りの店は、すっかり雰囲気が変わり、夏でも冷房弱め。500円のコーヒーを頼むと、これがなかなか出てこない。しばらく経っても、まだ準備されている気配すらないのに、注文を取りに来た外国からのスタッフは、机に足を投げ出して、頭の後ろに腕を組んで、カウンターでテレビのチャンネルを忙しなく変えている。
しばらく様子をみて、これは忘れられているぞと思い、「あのぅ」と話しかけると、「ああ、忘れてた。ごめんごめん」と愛想もいい。そのまま体を捻って、電気ポットからグラスにコーヒーを注いだ姿を目撃してしまったときには、お腹の底から笑いがこみあげた。
いいのである。これでいいのである。楽しいのだ。

で、である。家でコーヒーを飲むのは結構面倒なのである。もともとが日常感覚であるから、あえて沸かすことがなんとなく面倒なのだ。目覚ましに特別な一杯を、とか自宅で手軽にカフェの味を、といわれても、どうもピンとこない。そんな素敵な、雑誌から抜き出したような朝が毎日来ると聞かされても、どこか儀式的な気がしてしまうのだ。

それでも、ものぐさな私であるから、逆説的に食指は動く。これまでも、その時々流行りのコーヒーメーカーや、カプセル式のコーヒーメーカー、ドリップ式のもの(実際、これが一番美味しかった)といろいろ試しはした。しかし結局どれも飽きてしまって、家でも外でも飲む機会が減ってしまった。己の怠惰に罪がある。

大好きな秋を迎えるからでもあるのだろうか、しかし最近、またコーヒーを自宅で飲みたいと思うようになった。もう今さら凝った道具なんて買うつもりもない。できるだけシンプルに、できるだけ日常的に…。手頃な方法はないかとインターネットで検索していると、果たして、あった。家にあった。ビアレッティのモカエキスプレス、つまりイタリアの家庭には必ずと言ってよいほど一つはあるというエスプレッソ用のマキネッタが。
たびたびの引っ越し生活の中、比較的長く住んだ土地で、随分とお世話になったショッピングセンターがある日閉店を迎えた。今となっては信じられないことであるが、ここでは、ガンダムのプラモデルに始まり、ファミコンのカセットまで、とにかく身近なところではそこでしか手に入らないものだから、父と弟と三人で、日曜の朝早くから整理券と予約券のために長蛇の列に加わったことを思い出す。
そんな思い出のショッピングセンターがなくなるというのだから、最後になにか買いに行こうと思って訪ね、手にしてきたのがビアレッティのモカエキスプレス。特に知識があったわけではないし、特段華やかな街でもなかったのに、20歳にもならない私はそれ一個を買って帰ってきたのである。なんとなく、気に入った。理由はそれだけだ。
しかし、例によってあまり上手に使った記憶もなく、そもそも形状が素敵なのだから、そのままインテリアとして30年以上部屋のあちらこちらに飾ってきたのだ。

しかし改めて、これが原始的ながら一番シンプルで、いまではガブガブと飲むこともなくなったコーヒーを日常的に飲める方法なのではないか。ただコーヒーを詰めて、直火にかけるだけ。コーヒーの脂が油膜となってアルミニウムを守るというのだから、洗浄も適当で十分。最高なものが、長いこと置物になっていたなんて…。

それで先日、30年ぶりにこのビアレッティのモカエキスプレスを取り出してきた。そのまま使用できるとは思っていないが、一通り埃を払って、煮沸消毒をしようと水に入れて火にかけたところ、管からもいい音を立ててしっかりと水が溢れてくる。
こんな作業が楽しくて、煮沸した本体を冷まし、いざパーツを外してみようと思うと、劣化したパッキン部分が溶けてくっつき、サーバーとボイラーが離れない。冷やせば冷やすほどパッキンが硬化してますますはずれない。

ここまで来るとようやく、本来はこうした「作業好き」のスイッチが入るから、心折れるような私ではない。蝋燭で丁寧にあぶってパッキンを溶かし、ようやく上下を分離する。残って張り付いてしまったパッキンのクズは、丹念にピンセットでつまみ、最後はヤスリがけをする。綺麗である。

なにしろボイラーの内側の劣化がひどい。それで今度は念のため、食洗機で洗う。が、ここで大きな失敗をする。食洗機を開けて出てきたのは、美しいアルミニウムのマキネッタではなく、どす黒く酸化したそれだった。
アルミニウム製のマキネッタは、洗剤厳禁であったことをすっかり忘れていたのだ(現在はステンレスのモデルも出ており、こちらは洗剤でも黒ずむことはない)。ここからまた作業が始まる。
ピカールを使って、ゆっくりゆっくり、表面を傷めないように、黒ずんだ箇所を磨いていく。水を足しては磨き、液剤を足しては磨き。すっかり時間も経った頃、少々スミ入れしたような陳腐なビンテージ加工品のようになってしまったが、もとの名残が感じられる程度まで美しさが戻った(ビアレッティで試してはいないが、クエン酸で黒ずみを落とすという簡単な方法もあるようだが、しばらく無知な冒険はしないこととする)。

たった一杯のシンプルなコーヒーのために、これほど愚かな手間を取られるとはとんだ失態である。もはや、ここまで慣れ親しんだコーヒーと疎遠になっていたのだろうか。もう同じような二度手間、三度手間は御免被りたい。そういうわけで、パッキンはもちろん、フィルタープレートから漏斗まで、すべて新品を注文することとした。こんなことなら、新しいマキネッタを買ったほうが手っ取り早いのかもしれないが、私は、コーヒーとの関係を昔のように近づけるため、何が何でもこの30年もののモカエキスプレスで、至高ではないが唯一無二の一杯を飲みたいと心に決めた。
注文したパーツが届くのを、いまかと楽しみにしている。(了)

Photo by kaboompics,Pixabay

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