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バブルとコンポとジェイムズ・ブラウンと私

#はじめて買ったCD

 1985年。バブル真っただ中。日本は、浮かれていたかもしれないが確かに元気だったし、遊び惚けていたわけではなく皆バリバリと24時間働いていた。
 当時独立してビジネスを始めた叔母が、私の進学祝いに、ポンっとプレゼントしてくれたのは、ソニーの「リバティ」というミニコンポだった。電源を入れると、コンポ全体に電気が駆けめぐる証拠のような、独特の鈍い間があり、冷たい鉄の匂いが立ち込める。これも叔母から贈られた『ロッキー4』のサントラ、マイケル・ジャクソンの『スリラー』、アル・グリーンのベストアルバム、チャーリー・パーカーのライブ盤ら、胸躍らせた作品を5連式のCDルーレットチェンジャーに載せて、その日の一枚を決めるとリモコンで再生を始める。通称グライコ(グラフィックイコライザー)が、リズミカルな波形を描き出すと、何とも言えない時間に包まれた。
 CDの売り上げがレコード盤を追い越したのが1986年だから、あの頃はちょうどCD時代幕開けのタイミングだった。当時の私のお小遣いでは、CDを買うのはとてもハードルが高く、けれど音楽、特に洋楽への傾倒が、海外で過ごした幼少期以来再燃(日本に帰国して以降しばらくは、日本語で歌われるポップスが新鮮で、邦楽をよく聴いていた気がする)した時期で、とにかくいろいろなジャンルの音楽を、このコンポで聴いてみたかったのだ。

 いわゆる「輸入盤」というCDが存在し、とにかく国内流通盤より圧倒的に種類が多く(その代わり玉石混交でもあった)、1000円近く安いことが魅力だったが、なにしろ情報源の少ない時代に、ライナーノーツがないことだけがいつも悔やまれたものだった。
 おませな音楽好きの友達らがいう「ちゃんとしたレコード屋」にいくと、輸入盤CDのワンコーナーがあることを知って、私は自分で貯めておいたお小遣いを持って、真っ先にレコードショップの輸入盤コーナーに向かった。実際にはその聖域は、入り口付近に、想像よりは小さくあったわけだが。
 当時の私の感覚からすると、随分と乱暴な粗い写真のジャケットに、チリチリにシュリンクした包装がされて、ケースを持ってみると、やはりライナーノーツがない分、一枚の紙で完結した簡単なジャケットが中でカラカラと音を立てて、なんとも安っぽく感じられたわけだが、その名は聞いたことがあるけれど実際には聴いたことのない曲やアーティスト群に圧倒されて、何時間でもそこでCDケースをチェックしていられるような気になった。

 どれくらい長いことそれらに溺れていたか覚えていないが、とうとう思い切ってレジに持ち込んだCD。それは、忘れもしないジェイムズ・ブラウンのライヴアルバムだった。JB、である。正規盤ではなく、おそらく企画ものの編集盤か何かではなかったかと記憶している。なぜそれを選んだのか決定的な要因はないが、およそ14センチ四方に過ぎない四角いジャケットの中で、くの字にマイクを抱きすくめるJBのモノクロ写真からほとばしる圧倒的な力強さ、かつて観た『ブルース・ブラザーズ』や、それこそ『ロッキー4』でのアクの強いパフォーマンス、そんな乏しい情報の中で、とうとうそれを手に取って、お小遣いをみんなはたいてしまったわけだ。

 家に帰ってさっそくコンポにCDを装填し、ヘッドフォンを被って再生をしてみると…なんと表現してよいのか、音の粒が四方から迫ってくるような、もっと言えば、唾が飛んでくるような生々しい臨場感の中で、お決まりのダニー・レイの呼び出し(もちろんこれはのちにその名を知った)から一転、チャラチャラとリズムを刻むバンドに、JBが何やら声掛けをしていく。一曲目、“Doing It To Death”だ。もうそのあたりで十分鳥肌が立っているわけだが、そこに当時随一と評されたホーン部隊が絡んできて…あとはまぁ、ほとんどJBが唸ってがなってるばっかり(失礼!)なのだが、この一曲にガツンと頭を殴られてしまい、幼いころに聴いていたオールディーズや、なぜか毎週日曜日父がレコードプレーヤーでかけるエルヴィス(エルヴィスはもちろん今でも大好きだ)やアンディ・ウィリアムス、シナトラは一回脇に置いて、以降は“R&Bどっぷり時代”へと一直線に加速していく。それが思春期というものだ。

 といって、結局その後は意外にもJBを聴き倒す、ということはなく、必要なものを情報として押さえていくようなかかわり方が長く続いて、私はマーヴィン・ゲイへの長い長い妄執の時代に移行していくわけだが、後年日本のR&B/ブラックミュージックに係る音楽ジャーナリズムの世界で、憧れのライターの先輩たちと同じ場所で記事を書かせていただいたことをデビューに、文筆業を生業としていくきっかけとなったという点で、はじめて自分で買ったJBのライヴアルバムは、ある意味その後の私の人生を大きく決定してしまった特別な一枚となったのだ。(了)

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