旅情奪回 第16回:18世紀の「ジョジョ立ち」
これまで、様々なものをコレクションしてきた。それらのうち、前半生のコレクションの大半は、大体同世代のどの少年も通過するようなものがほとんどだ。珍しく父にねだって始めた切手収集(これはぜひ書いておきたいのだが、その後も様々な国の切手を見てきたが、ブラジルの切手は世界でもっとも美しい切手に数えられる)、ヒーローの人形、スポーツ選手のカード、キーホルダー、云云かんぬん…。しかし、その中にポストカード集め、というコレクションが私にはあった。
引っ越しを重ね、あるいはいわゆる成長の過程というやつで、この宝の山とも泣く泣くお別れする羽目になったものも少なくないが、もし取り戻せるならたった一つ、もう一度この手にしたいものがある。それは、冊子になったポストカードのセットで、間違いなく誤って手放してしまったものだ。綴じの部分の糊がすっかり固まって接着力を失っても、それはいつまでもそばに置いておきたい大切なポストカードであった。手放す直前まで、実家のどの部屋のどの引き出しにしまってあったか思い出せるほど大事にしていたのだ。
ブラジルのサントスからは、当時の私にしてみれば大旅行だったであろう、ミナス・ジェライス州へ家族で出かけた際に訪れたコンゴーニャスの町に、ボン・ジェズス・デ・マトジーニョス聖堂という教会がある。今調べれば印象は事実は異なるのかもしれないが、当時の記憶ではえらくだだっ広い景色の中に、この教会は建っていたような気がする。今では、この教会一帯は、ユネスコの世界遺産に登録されているという。
この教会は、「ブラジルのミケランジェロ」と呼ばれる彫刻家・アレイジャジーニョによって彫られた十二体の石像がある。ブラジル出身のサッカー選手名の「ニックネーム」をみればわかるように、もちろんアレイジャジーニョも本名ではない。本名をアントニオ・フランシスコ・リスボア、アレイジャジーニョとは「小さな障がい者」という意味だ。今日ならば不適切な呼び方であろうが、18世紀の話である。そしてそれは、半ば敬意を込めてつけられたあだ名である。なぜそのような名で呼ばれたのか、独学で頭角をあらわした彫刻家・アントニオは、手足が麻痺し、やがて四肢は壊死して失くなってしまうという難病に冒されてしまい、それでも鑿と木槌を、残った腕の節々にゆわえ、あるいは口にくわえて石を彫り続けたという。そして、このボン・ジェズス・デ・マトジーニョス聖堂に据えられたほぼ等身大の12の像も、病を得てから彫り上げたものだという。父から、当時そんな説明を受けて、六つか七つだった私はいたく感動し、博愛や人道、教育的な観点とは別の次元で、文字通り「カッコいい」とすっかり虜になってしまった。
ボン・ジェズス・デ・マトジーニョス聖堂の十二体の像は、旧約聖書に登場する預言者たちだ。これらは、ペドロ・ジ・サボン(石鹸石)で彫られたもので、名前だけ聞けば、何やら柔らかくて彫りやすそうな石に思えてしまいそうだが、手足の自由がきかぬアレイジャジーニョが命がけで彫ったのだから、その偉業は"泡のよう"に軽やかではないはずだ。
十二体の預言者像は、主要と思われるイザヤ、イェレミア、エゼキエル、ダニエルの4人。それに、不謹慎ながら比較的マイナーと言えようか、バラク、ホセア、ヨナ、ヨエル、オバデア、アモス、ナホム、ハバククの八人の預言者で構成される。このラインナップ自体に、この教会建立のコンセプトに係る何かがあるかどうかは、当時も今も分からない。ともかく、複雑な模様の装束、なびく裾のドレープ、装飾品、モデルに付随する物語を示すアトリビュート、やさしさよりは、どちらかといえば緊張感を湛えた豊かな表情…そして、何よりも私の心をとらえたのは、そのポーズであった。十二体が、それぞれ躍動感にあふれたポーズをとって、荒々しい景色に屹立しているのだ。まさに、18世紀版「ジョジョ立ち」なのである。中でも、私はダニエル像がお気に入りであった。
この「ジョジョ立ち」する預言者が晴天や夕焼けをバックに立つ姿が、十二枚ではなかったか(そう、1枚に一体ずつ、表紙には十二体そろい踏みの写真がついていたはずだ)、ひとつづりに冊子状にされたポストカードブックを、これまた珍しく父にねだって(父におねだりしたあともう一つは、山川の歴史図録で、これまたいまも大事に取ってある)買ってもらったのだ。以来、それを屏風に開いて飾ったり、手元に寄せて模写したり、飽きることなく眺めたものだ。先に南大門の金剛力士像を見ていたら、それが憧れのポーズになっていたかもしれないが、コンゴーニャスで目にしたそれらは、幼少期の私の中で、「カッコいいポーズ」のなんたるかを決めてしまった。今にして思えば、アレイジャジーニョの十二預言者の像のポーズかが醸し出す何かは、十二神将、それも興福寺ではなく新薬師寺の十二神将のものと似ている気がする。それにしても、どちらも十二…。
今でも取り戻したいあのポストカードはもう還ってはこない。褪色して黄色みかかったブルーの空をバックに立つダニエル像の写真をもう一度愛でたいと思ってもかなわない。それでも、この目に焼き付いた「カッコいいポーズ」の基準は今も、鮮やかに、何度も甦ってくる。(了)
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