活きる為に料理をする⓪ ~安全~

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料理をすることの一番の目的って「安全に食べられるようにすること」だと思っているんだよね。次点で「美味しく食べられるようにすること」が大事なのだけれど、多くの人の認識として「美味しく食べられるようにすること」が一番にあり、「安全に食べられるようにすること」はそもそも意識されないままのような気がしている。
例えば肉を焼くのは諸々の食中毒菌などを失活化させる為であって、美味しくする為に焼く訳ではない。焼いた肉ってめちゃくちゃ美味いけど、ここで現れる「焼いた肉の美味しさ」というのは、所詮副産物でしかない。これを踏まえた上で、より美味しいものを目指してギリギリの火入れにしたり、しっかり焼き付けたり、熱源を変えたりするのは個人の自由だけど、その過程をすっ飛ばして美味しさを目指すのは本末転倒。なのにそんなレシピと思想(僕自身「レシピさえあれば美味しいものなんて簡単に作れる(し、料理なんてその程度)」と思っていた時期があった)が世の中に溢れすぎていることが料理を難解にしている原因の一つなのではないかと思っている。

仮に肉をおおよそ安全に調理するとするなら、諸説あるのだけれど、厚生労働省のいち基準では「中心部が75℃で1分間以上」だそう。明らかに基準以上に加熱している、というのは抜きにして、「加熱の具合で美味しさを求めているのに、中心部の温度が指定されないレシピ」があれだけ多いということは、とどのつまり世の中のレシピはそのくらい無責任ってこと。

勘違いしがちなのは「安全に食べられたこと」と「食中毒が起きなかった」で、二者は似ているようで全く異なるということ。日本で一番有名な「安全ではないものを食べて食中毒が起きなかった例」として、両面宿儺の指を食べた虎杖悠仁君が挙げられるけど、食品安全などの観点からみると、本来は適切な調理をした上で、食さなければならなかったのだと思う。

では「安全に食べる」とはどういうことなのか。
まず混同しがちなのは「腐ったものを食べない」ということ。そもそも腐敗(ここでは便宜的に微生物の作用によって物質が変化することのことをいう。本来、人間に有益なものを発酵、有害なものを腐敗と呼ぶが、線引きが曖昧な為)と食中毒に直接的な因果関係はない(七年くらい料理人をやってきたが、この違いを理解している料理人は少なくとも僕の周りにはいなかった。びっくり!)。腐敗部分が食中毒の原因物質を培養しやすい環境である、ということはあるのだが、原因物質が無ければ食中毒は起こらない。つまり、味や臭いから確実な安全(程々な安全は出来るかも)を判断することはできない。
よく洗ったり、よく焼いたりなど、それらは行動としては大事だが、これも本質ではない。洗う・焼くだけでは効果的ではない場合が存在する。
上記を包括するなら「食中毒の原因をわかった上で適切な処理をすること」で、それが「安全に食べる」ということである。

続いて具体例と対策だが、ここでは割愛する。
何故なら僕がここでやるべきと思っていたことは、暗黙の了解となっていた習慣や認識に「それってほんとうにあんぜん?」一石を投じることだから。だから難しい話はまた今度にしたい。結びにそれらしいことを言うとすれば「自ら問い学ぶことこそが、安全に食べることにおいて一番重要である」なんじゃない?

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