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Episode30 『整体師』

全てにおいて、あーあなんかいいもの落ちてねえかなあ、と下向きに生きてきたので、すっかり猫背になってしまった。
そしてそんなもの人生という道端には落ちてない、ということに気がつくのに33年もかかった。

「背中も首も頭の位置も骨盤も足も歪んでますね」

普通男に容姿をおちょくられると、烈火の如く(そんなタイトルの漫画昔あったな)ブチギレる俺だが、この男だけは特例だ。
そして彼の太く筋肉質な腕に、さすられたり引っ張られたり押し付けられたり揉みしだかれたりする時、おそらく俺は恍惚の表情を浮かべている。きっと男に抱かれてる時と同じような顔だろう。

Episode 30 『整体師』

初めて彼にベッドの上で出会った時「こ、これは非常にまずい」と思った。
かっこ良すぎる、と思ったのだ。

日焼けした肌、高い身長、爽やかな笑顔。
元アメフト選手だという彼のパンパンムチムチの筋肉が、白衣の下で窮屈そうに蠢いていた。
アメフトとかラグビーやってた人のおしりの筋肉って、なんであんなに蠱惑的なんだ…。

パソコン仕事でギシギシになった体をなんとかしようと、生まれて初めて整体院というところに行った俺のイメージでは、頭の禿げ上がった爺さん先生とかが現れる予定だったが、予想外にいい男が現れてしまった。もっと着飾ってくるんだった、と「機動戦士ガンダム」のTシャツを着た俺は思った。
こんないい男に素手で全身を触られたり撫で回されたりして、果たして俺は正気を保てるんだろうか?
途中で股間が隆起したり、衝動的に尻を触ったりしちゃったらどうしよう。

そんな俺の不安をよそに、彼の施術は始まった。
邪な思いが湧いてこないように、俺は心を無にしようと努力した。しかしそうすると余計にモヤモヤといやらしいことを考えてしまいそうになる。
だから必死に頭の中で「飛べ!ガンダム」をエンドレスリピートしていた。

燃え上がれー燃え上がれー燃え上がれーガンダムー

「痛くないですか?」

彼の優しい声が俺の鼓膜を震わせる。
「痛くないですか?」だなんて!最近寝た男だって聞いてくれなかったのに!あなた、そんな!そんな!
燃え上がってんのはガンダムじゃなくて俺のハートです、そんな言葉が口から漏れそうだった。

「もっと痛くても大丈夫です」

思わず意味深なことを口走ってしまったが、彼は冗談だと思ったのか笑っていた。真っ白な八重歯が、ピカピカの便器みたいに輝いていた。

「はい、お疲れ様でした〜」

なんとか無事に終わった。
体は確かにほぐれて楽になったが、気分の方は余計にガチガチになった気がする。股間までガチガチにならなくてよかった。
もうこんな薄氷を踏むような思いはごめんだ、2度とこないぞ、こんないい男がいる整体院。
そう決意して俺はそこを後にした。

1週間後。

俺はまたベッドの上で彼にヒイヒイ言わされていた。
この前より上等なシャツを着て、髪もセットして。だって仕方ないじゃないか、パソコン仕事は体が歪むんだ。
あっけなく、俺はこの整体院の常連となった。

予約の時間に俺が入っていくと、筋トレが趣味だという彼は、よくマットを敷いて腕立て伏せや、腹筋をしていた。白衣を脱いで、ピタピタのTシャツ一枚の彼も、なんというか、かなりけしからん感じだった。
躍動する筋肉に、汗が光る。俺は何度も生唾を飲み込まねばならなかった。

そんなある日。

「あの〜うち今度からEMS(なんか腹筋に電気を流して鍛える感じのやつ)導入するんですけど、よかったらお試しで、テスターになってもらえませんか?若い男性の意見が聞きたくて」

若い!男性!だって!(33)
君が俺の若く芳醇な肉体(33)を欲するなら仕方ない、喜んでこの身を君に捧げよう。ここにくる直前、お風呂入ってきたし。

腹をむき出しにして、コードのつながったパッドを順番に上の方から装着されていく。
臍の毛処理しておいてよかった〜と思ったのも束の間、彼の手が俺の下着に…!

「ちょっと失礼しますね」

別に失礼じゃないけど、むしろ歓迎ですけど、あんた突然何を?え、ちょっと、なに、こんな急展開?あの、ちょっとまだ心の準備が、あ、あ、あ〜!

と、思ったら、ほんの少しだけズボンと下着の下にパッドを挟んだだけだった。なーんだ。
そして俺は彼の手で電流を流し込まれるというプレイに、20分もの間何度もエレクトしそうになりながら、悲鳴を上げたのだった。
いや実際問題、あれ、かなりキツかった。あれなら腹筋したほうが楽なんじゃなかろうか。しないけどさ。

そして今も俺は彼の元へとせっせと通っている。
彼は変わらず、筋トレしながら俺を待っている。
この間なんか、俺が入って行ったら逆立ちしてたぞ。逆立ちするやつ、久しぶりに見たな。

俺の猫背はまだ治らないし腹筋も割れていないが、もはやそれはどうでもいい。
人生という道端にはいいものなんか落ちていないけど、ほんのちょっとの選択で、そこにはご褒美があったりもする。あの日俺が3件隣の方の整体院に入っていたならば、あるいは「金の無駄だ」とアンメルツを肩に塗りながら家でパソコン仕事を続けていたならば、こんな上等な男には会えなかっただろう。
下ばかり向いてパソコンをタイプしていないで、今度は彼のように逆立ちでもすれば、もっと世界は違う見え方をするかもしれない。(首を折ったりするかもしれないが)


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