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どうせ死ぬんだから❷/和田秀樹

前回の記事の続きの思考をまとめていく。

しかし私は、「生きているということはだれかに貸しをつくること、、老いていくということはだれかにその貸しを返してもらうこと」だと思っています。これまで我慢して社会のために働いてきたのだから、人生の最期くらい借りを返してもらってもいいだろう、と。

どうせ死ぬんだから/和田秀樹

→人生の終盤から人生を見る。本当に大切だ。その途中の今をどう生きるのかにもつながる。

自分のやってきたことが、最終的にすべて自分に返ってくる。年を取ると、その人の真価がわかるものです。

どうせ死ぬんだから/和田秀樹

→今はわからない。年をとった時に人生の成果がわかる。

先日、経済ジャーナリストの荻原博子さんと対談したのですが、荻原さんは、「実際に介護を経験した人がかかった費用は、一人で平均約600万円。夫婦二人で1200万円。医療は高額療養制度があるからそれほどかからない。200万もあれば大丈夫。あわせて1400万円、そこにお墓代100万円を足したとしても1500万円。それぐらい貯めて後は全部使ったっていいとおっしゃっていました。」

どうせ死ぬんだから/和田秀樹

→具体的な数字を知らなかったので、参考値にする。

何歳まで生きるかわからないからとやたら心配して、死ぬまで金を貯め続けるなんてバカげたことはありません。つまり、お金に対しての考え方をどう変えてほしいかというと、お金を持っていることより使うことのほうに価値がある、ということです。

どうせ死ぬんだから/和田秀樹

→お金に対する考え方を家族で統一し、最高の人生にしたい。

人生の終幕を迎えつつある人からよく聞くのは、「死ぬまでに楽しい思い出をもっと残しておきたかった」という声です。

どうせ死ぬんだから/和田秀樹

→こうならないように今からたくさん思い出を作りたい。それでもそう思うだろうが。

「どの場面にも善と悪があることを受け入れることから、本当の意味で人間がたくましくなっていく。病というものを駄目として。健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろう」

どうせ死ぬんだから/和田秀樹

→健康に努めるが、病になったら終わりではない。深い。そう思える強さを手に入れたい。

いまの知名度や売れ行きにあくせくするよりも、死んでから、みんながどう評価してくれるかのほうが大事であり、いま世間の評価に迎合する必要はないということだろう、と。

どうせ死ぬんだから/和田秀樹

→死んでからの評価が本物。なんと深い言葉だろう。

最高の人生にする。そのためには人生の最期を直視しなければならない。避けては通れない。その準備が今日、今だ。その発想を持てたことで、また日々の過ごし方が変わる。
非常に学びの多い一冊だった。


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