ryoco

大阪→神奈川→北海道 現在、札幌在住のアラフィフ ラジオと音楽と火山が好き

ryoco

大阪→神奈川→北海道 現在、札幌在住のアラフィフ ラジオと音楽と火山が好き

最近の記事

そして、現在

退院してからも、しばらく咳が続き、家族に感染させやしないかと思いながら日々を過ごした。近所のコンビニに行くだけで30分かかったり、毎日お風呂に入るのは筋肉が追いついていなくて苦行でしかなかった。それでも、ずっと寝てたらダメですよ、極力普通の生活を送ってください、というリハビリ先生の言葉を信じ、日中は横にならずに過ごした。 2週間後、退院後の診察で病院に行く頃には、かなり元気になっていた。 ただ、喉を除いては。 診察では、問題なし、大丈夫です、とのことだったが、わたしがどうし

    • 退院へ

      2021.6.3 熱はなんとか37℃台、相変わらず激しい咳が続く。 一度咳き込むと止まらなくなり、肺が痛い。 ほんとにこれで重症ではなくなったと言えるのだろうか。 またICUに戻ることになったらどうしようと不安になる。 相変わらず食事は半分ぐらいしか食べられない。 しかも半分食べるのに30分かかる。 飽きてくる。 夫が差し入れてくれたクロワッサンが美味しかった。 (本当はダメです、差し入れ) 首に縫い込まれていた管が2本外された。 すこーし動けるようになる。 寝てばかり

      • 目覚め

        2021.5.30 身体中に管が入り、まったく動けないけれど、なんとか目覚める。 看護師さんが今は5月30日時刻は…と教えてくださった。 いつから記憶がなかったのか定かではないが、とりあえず命は助かったようだ。 頭がぼやっとしてはっきりしない。頭痛もあり。 リハビリの先生が来た。 もうリハビリが始まるのだ。 抱きかかえられるようにして立った。 自分で立てないことの衝撃はものすごかった。 身体が鉛みたいでものすごくものすごく重い。 助かったのはいいけれど、このままだったらど

        • 入院

          2021.5.20 実は救急車に乗ってからの記憶が断片的で、覚えていたり覚えていなかったりする。 救急車は結構揺れるなーとかそういう感覚的なことは覚えている。 病院に着くと、車椅子に乗せられ、ベビーカーの雨除け(すっぽり全体を覆う透明のもの)のようなものが被せられた。感染しないようにそうなってるのだ。白い布のようなもので覆われていたので、外は見えない。どこへ行くのか、全くわからない。ただ看護師さん達の話し声がする。 着いたのはCT室。自分で車椅子から降り、台に上った。 すぐ

        そして、現在

          感染

          書くべきか、このまま黙っているべきか。 いろいろと悩んだけれど、誰かの緩みそうになった気持ちを引き止めることが出来たらと思い、書くことにした。 2021.5.9 息子からのLINEで目覚める。 「38.8℃。しんどい」 これが今回の騒動の始まりだった。 夕方には平熱に下がったこと、また日曜日だったこともあり、もしやコロナか…とよぎるも、とりあえず部屋から出るな!隔離な。と言ってその日は落ち着かない気持ちのまま過ごす。 2021.5.10 息子、今度は39℃の発熱。