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入院

2021.5.20

実は救急車に乗ってからの記憶が断片的で、覚えていたり覚えていなかったりする。
救急車は結構揺れるなーとかそういう感覚的なことは覚えている。
病院に着くと、車椅子に乗せられ、ベビーカーの雨除け(すっぽり全体を覆う透明のもの)のようなものが被せられた。感染しないようにそうなってるのだ。白い布のようなもので覆われていたので、外は見えない。どこへ行くのか、全くわからない。ただ看護師さん達の話し声がする。
着いたのはCT室。自分で車椅子から降り、台に上った。
すぐに終わった気がするのだけど、実際は100枚を超える写真を撮られていた。
また、覆われた車椅子に乗せられ、個室へ。
熱、血圧、血中酸素、心電図、いろんなものを測り終えたら、山のような同意書にサインをしていく。正直言ってこんな状態で読んでもさっぱり頭に入ってこないような薬に関するものや、家族のこと、いっぱい書いた。ここでもう咳がひどくなり、病衣に着替えるのも看護師さんに着替えさせてもらう。
部屋に技師さんがきてレントゲンを撮る。
なんか変な感じ。
熱と咳であまり眠れなかった。
夜中、主治医が来て「急変した場合、気管から管を入れて酸素を送る。それはどう思いますか?あと、急変した場合、心臓マッサージはしますか?この2つを朝までに考えて欲しい」そう言われた。
人工呼吸器をつけるか否かってことかとぼーっと思った。
日頃から延命治療だけはやめて欲しいと家族には言ってある。
もし、急変しても家族がそう言ってくれるだろうと思っていた。漠然と。
同時に、これで死ぬのか、案外短かったな人生なんて考えた。

2021.5.21

朝、夫に主治医に言われたことをLINEした。
すると「2つともイエスでしょう!」と返事が返ってきた。
そうか。でも、もし急変してそうなっても、ダラダラと続けることはやめて欲しいと伝える。返事はなかった。
しばらくして、ラジオ差し入れするかい?と夫からLINE。
郵送?持参?と続いてる。
そんなの持ってきてくれたらいいのにと思ったが、ここは感染症病棟。
差し入れは一切禁止なのだ。もちろん部屋からも出られない。
看護師さんに聞いておくねと返事をしたが、ここからほとんど記憶がない。
夜中に主治医に起こされるまで、寝ていたのかもしれない。

2021.5.22

時計の針が0時をまわる頃、「肺の状態がかなり悪いです。(この後説明を受けたがはっきり覚えていない。両肺が半分機能してないと言っていたような。石灰化?)今からICUに行き、人工呼吸器をつけます。ご主人に同意していただきました。連絡したい人がいたら今してください。少しなら待ちます。」
そう言って部屋を出て行った。
ICU?集中治療室?私が?なんで?
おぼつかない手で家族のLINEグループにこう書いた。
「みんなごめんね。頑張って普通の病室に戻るから!行ってくる!」

それ以降、5月31日に目覚めるまで、殆どの記憶がない。
夢の中でも呼吸が苦しく、嫌な夢ばかりだった。
それも、同じ風景の夢ばかり。何度も何度も。
その風景の中に息子と娘が必ずいた。
話しかけることはできず、ただ見ているだけ。そんな夢。

あとから聞いた話では、ICUでは看護師さんがよく話しかけてくださってたり、入室して2日後には動かない身体を少しずつリハビリしたり(と言っても足の曲げ伸ばしや手をグーパーさせるぐらい)、面会に来れない家族に電話で病状を連絡してくださったりと本当にいろいろと尽くしてくださったようだ。感謝しかない。

つづく


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