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目覚め

2021.5.30

身体中に管が入り、まったく動けないけれど、なんとか目覚める。
看護師さんが今は5月30日時刻は…と教えてくださった。
いつから記憶がなかったのか定かではないが、とりあえず命は助かったようだ。
頭がぼやっとしてはっきりしない。頭痛もあり。

リハビリの先生が来た。
もうリハビリが始まるのだ。
抱きかかえられるようにして立った。
自分で立てないことの衝撃はものすごかった。
身体が鉛みたいでものすごくものすごく重い。
助かったのはいいけれど、このままだったらどうしようと強烈な不安に襲われた。

24時間経過観察して大丈夫そうなら人工呼吸器を外すと言われる。
一刻も早く外して欲しい。喉に管が何本か入っているのは辛い。
(この時はこれさえ外せば普通に話せると思っていた)
なにしろ意思疎通というものが不可能なのだ。
看護師さんが50音のボードを持ってきて、言いたいことを指差してって言うんだけど出来ないのだ。指差せない、筋力がなくて。
情けなくて、悔しくて、泣いた。

きっと浮かない顔をしていたんだろうと思う。
看護師さんがラジオを持ってきて、アンテナを伸ばしてあーでもないこーでもないとやっている。そう、私がラジオを聴くことが好きだとわかっているのだ。夫が話したのかな。格闘すること15分。「ごめんねぇ、NHKしかはいらないわー。聴く?」と言ってくださったので、うなずいた。半崎美子さんの声がする。でも、聴くこともしばらくすると疲れてしまった。と同時に雑音が酷くなり始めたので、切ってもらった。

これから私、どうなるんだろう。
家族は元気なのだろうか。
ずっと、そればかり考える。
話せないから、聞くこともできないのだ。

2021.5.31

人工呼吸器を外した。
抜管した。
と同時に、鼻に入っていた管を私の不注意で一緒に抜いてしまう。
怒られた。ものすごく。

これで言いたいことも言えるだろうと思っていたのに、今度は声が出ない。
長く管が入っていたので、声帯が開いたままになっているらしい。
全く出ないんではない。かなりなしゃがれた声。
え?ずっとこのまま?
聴きたいけれど、24時間後にはICUを出ることになり、その準備(身なりを整えたり、各種検査があったり、リハビリもあったり)で忙しく、疲れてしまって機会を逸した。

人工呼吸器を外しても、いきなり自発呼吸のみになるはずもなく、鼻には酸素吸入のチューブが文字通り貼り付けられている。
これがなんとも言い難い匂いがして、吐き気をもよおす。
これをつけられないならICU出られないよ、と脅されても吐き気は続く。
見かねたベテランの看護師さんがいろいろ手を替え品を替えしてくださったが無理。
吐き気どめも飲んだけど一瞬で元通り。
結局、吐き気はICUを出るまで(出ても)私を苦しめた。

明日、普通の病室に行けるんだという思いと吐き気に支配された日だった。

2021.6.1

結局一睡も出来ずにICUを出る日になった。
朝から髪を洗ってもらってさっぱりしたものの、吐き気は相変わらず続いている。
私が寝ないから、全て前倒しでことが運び、移動の時間よりずいぶん早く準備が出来てしまった。
看護師さんがテレビをつけてくれたが、少し見ただけで酔ったようになってしまい、また吐き気…。
本当に出て大丈夫なのか?という看護師さんもいれば、助かってよかったねぇ、もうここに帰って来ないようにねという看護師さんがいたり。
嫌な匂いは、ICU自体に漂ってるんだと思い始めた私は1分1秒でも早くここから出たかった。

時間が来て、お世話になった看護師さんに挨拶をして、ベットごと移動した。
やっとICUを出られた。

ーーーーーーー

移動先は大きな窓がある1人部屋だった。
外が見えるってこんなに気分が変わるのかと思うくらいに気持ちが明るくなる。
相変わらず身体中、管だらけだけど、大きく一歩踏み出した気がした。
嬉しかった。

家族と連絡を取りたくて、預けていた(預けた記憶はない)スマホを返してもらう。
あれ?スマホってこんなに重かったっけ?メガネも重くて長い時間かけられない。
そんなに筋力落ちてるの?
あれ?手足の皮膚がめちゃくちゃ剥けてる。なんで?
爪がめちゃくちゃ伸びてる。
自分の身体なのに、自分の身体じゃないような不思議な感覚。
スマホを起動すると、いろんな通知が山のよう。
Wi-Fiはないので、処理にものすごく時間がかかる。
それより何より、スマホを持つのが重いから家族にLINEをするのに時間がかかり、一度途中で投げ出してしまった。

お昼に言語療法士の先生(先生と言っても息子と同じくらいの歳)と看護師さんが食事を持ってきてくださった。何日ぶりだろう、食べるの。食べられるのかなと思った。
初めに口の中の状態や飲み込むことに違和感がないか調べて、問題はないとのことだったけど、おかゆからのスタートとなった。
ガラガラの声で話すことも聞こえにくいだろうし、ましてや筋力が落ちてスプーンを持つのもやっと。そんな私を励ますように、先生と看護師さんはたわいもない話を続けてくださった。
プリンがあったので、食べてみる。抜管の時に舌先に傷がついたようで、舌先の感覚がおかしい。でも、本当に美味しかった。ありがたかった。
全て平らげるのは無理だったけど、食事ができたことが嬉しかった。

食後、もう一度スマホにチャレンジ。
ようやく家族と連絡が取れる。
みんな元気なようだ。
安心して今日は眠れそうだと思っていた、この時までは。
夫は毎朝「おはよう」そして寝る前にその日の出来事をLINEしてくれていた。
それを私が読むのをどんな気持ちで待っていたのだろうかと思った。
泣けた。

日は沈み、外は暗い。
少しだけ札幌市中心部の灯が見える。
看護師さんがミトンを持ってきた。
最初は意味はわからなかった。ミトン?
どうやら長い眠りから覚めた人間がせん妄状態になり、医療従事者に対して暴力や暴言を吐いたり、身体中に繋がれた管を自分で抜いたりすることがよくあるのだそうだ。そこで、両手にミトンをしたうえでそれを固定し、動けなくするという。いわゆる身体拘束だ。え?私が?でも、そう言われるなら仕方ないと軽い気持ちで了承した。

辛かった。本当に。こんなことになるなら、一般病棟なんかに移らなくても良い、このまま帰してくれとさえ思った。身体中に管が入っていて寝返りはおろか少し動くことも出来ないのに、胸の前で両手を動かなくされて、さあ寝ましょうと言われるのだ。
眠れなければ睡眠薬を処方するといわれ、MAXまで飲んだが眠れず、暑いし、動けないと思うだけで辛く、恐怖感に襲われた。何度もナースコールするも来てもらえず、もうこのまま狂って死ぬのかと思った。それくらいの恐怖、絶望。

2021.6.2

最悪の夜が明けた。
一晩中狂いそうになりながら、時計ばかり見ていた。
もちろん、一睡も出来ず。
外が明るくなってきたのがカーテン越しにも分かる。
さあ、外してくれ。この苦しい原因を!
看護師さんがカーテンを開けにきた時に、外して欲しいと言うと「8時にならないとね〜」と言う。何の根拠なのか。怒りや苦しみ通り越す絶望感。

8時。
やっとミトンを外された手首は赤くなっていた。
食事を出されるが、まったく食べる気にならず。ほとんどを残した。

解放されて少しずつ眠気が来た。
寝ては起き、寝ては起き。
ぐっすりと眠れない。
管が寝返りを邪魔し、気になって目が覚める。
その繰り返し。
私はICUでもう一生分眠ったのかもしれない。

食事は全て1cm角にカットされている。
喉のことがあるからだろうか。
なんか食欲削がれる。
今日美味しかったのはマンゴーの缶詰。
先生にちゃんと食べてくださいと叱られる。
夫にLINEすると「病気になって先生に怒られるのやだな」と返事。
その通り。

リハビリのI先生が来てくださる。
これから毎日リハビリに来てくださるとのこと。
どうしてそんな話になったのか忘れたが、登山の話になり、話が盛り上がった。
病気のことではない話ができるのは楽しい。
なによりI先生が明るく面白い方なので、これからリハビリが頑張れそうな気がする。

夜。
またミトンを…というので、全力で拒否。
「きっと今日もミトンをつけたら、それこそ私はなにをするかわかりません。冷静でいられる自信がありません。」と言った。
「そうですか…でも…そうですよね…先生に聞いてきますね」と看護師さん。
(後日談だが、身体拘束には患者の同意がないとできないようで、その書類に私はサインしないまま拘束されていたのだということを3日後ぐらいに知ることになる。)

続く

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