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年の瀬、東京へ向かう機内にて

今、東京行きの飛行機の中にいる。

トロントからテキサス州ダラスを経由しての帰路は、ナイアガラの居住地を出発してから丸一日以上の長旅だ。
到着する時は、日本時間大晦日の18時ごろ、2023年の最後の夜だ。
思えば、凄まじく中身の濃い一年だった。

師走を飛び越えるくらい混沌とした12月も、もうすぐ終わる。

1年前はまだ全てが新鮮に感じていて初々しさ満点だった。少しずつ海外での暮らし方、振る舞い方に慣れてきて、都度ゲームの主人公の如くレベルアップしていく感覚が愉しくてそれがモチベーションへと昇華していった。
おかげで、大きく体調を崩すことも精神的にやられることもなく1年を乗り切った。

英語も自分のレベルに危機感を感じて必死に毎日習慣付けた。このままのレベルじゃ帰れないと思ってばかりだったが、半年ほど経ってようやく会話で少し自信がつき始め、自分の求めるハードルは下げてはいたものの(現実的になった)、その成長を自分または他人からの評価を貰う回数が増してくごとに実感していった。

カナディアンの友人も何人かできた。日本を愛し、ベストフレンドとも言える1人の友人が、この僕のカナダ生活をより充実なものにさせてくれた。それも、彼の車でモントリオールや紅葉の名所巡り、夏にはキャンプなど普通にトロントに暮らしているだけでは得られない経験をさせてもらえたから。

ある時、彼の友人のホームパーティーに呼ばれた。いつもは他の日本人もいる中で今回は僕だけ。つまりは僕以外完全なネイティブの人たちだ。そこで、現実を突きつけられた、カナダ渡航10ヶ月も経った頃である。
会話に全くついていけないのだ。
そのスラングも交えたリアルなネイティブ同士の会話に頭の処理が追いつかない、大量のお酒もそれに拍車をかけた。コミュニケーション力に自信はあるが、時々無理やり会話しようとしては中身の薄いコメントと作り笑顔の相槌だけ残してすぐさまフェードアウトしてしまった。
 まずは英語力をもっともっと鍛えていく必要性をいい意味で突きつけられた。これに対してはもうひたすら学習とアウトプットを繰り返すのみだ、その積み重ねをもっと厚みあるものにする。単純なこと。
そして、客観的に少し"不甲斐なさ"も感じるものもあった。

 結局のところ、カナダにいるとはいえ日本人が身近にいる環境ばかりで暮らしていたのは事実で、それがこの現実を包み隠していたのだ。精神的安定もその日本人が居たからこそであるし、支えになってたのは間違いない。
そしてこれは、日本人に限ったことではなく、どの国の現地コミュニティでも当然存在していることに気づいた。ネイティブと非ネイティブにある見えない壁は、どの世界にも存在している。

日本で生きるか、カナダで生きるか。
「この先どうするの?」と時々聞かれることがある。
「わからない」という回答しかできない。一期一会なこの海外での挑戦で何が起こるかどう動くか予測なんて無理で、決めつけたくもない。
日本で〇〇をするという明確なものがあれば別だ、専門職的なこととかもそう。

 そのゲームの主人公の如く冒険していく中で出会うご縁が自分の充実さをより深みのあるものにしてくれている。どこかでその自分の行動が紡いだご縁が次の将来につながるかもしれない。曖昧な表現ではあるけど、確信はしている。
 抽象的だが、自分の直接的なコミュニケーション力とアイデア力を活かして人々を興奮させ、笑顔にさせる。これが僕の生きてく道だとこちらに来て確信した。

 そして僕ならできる、なんの根拠のない自信も身についた。我ながら知らない異国の地でよくやってると思うし、その適応力には驚きさえある。ナイアガラにあえて移動して、人前で慣れない料理を振る舞って喜んでもらって、またとない経験を積むこともできた。運も縁も恵まれた、それでいい。

 さて、とはいえ家庭の事情で日本に帰る必要に駆られてる真っ最中なのだが、これだって悲観するつもりはない。むしろ一つの区切りとしてはよかったかもしれない。
母親は直接言わずとも寂しさは伝わってきたし、僕だって早く会いたい。もちろん父も兄弟も祖父母も友人達も、、日本に置いてきたあれこれが待ち遠しい。

 無論、その次の選択肢も何個か用意している。それはこれまでのこのカナダ生活から繋がっているものであるのは確かだ。言い訳ではないがカナダに遊びに来たわけではない。
じゃあどう進んでいこうか、一度慣れ親しんだ実家でリフレッシュしてからその選択肢を肉付けしつつ、決めていこうと思う。
 
 よく聞く話だが、外から見る「日本の良さ」は僕もあらゆる面で強烈に感じた。治安も医療体制もサービスも交通機関だったりも、日本人の当たり前に置かれてる環境がどれだけ高度なサービスの融合で成り立った世界か。同時にそれがある種一部の日本人にとっての生きづらさを生んでるのも外から見たことで実感した。実際、その内面的な点で日本を離れて海外に移る人はとても多い。
どっちがいいとか悪いとかの話ではない。
本当に人それぞれ色んな背景と野望を持ってる、それを聞くのがまた楽しいのだ。
 その刺激的な日々と人の出会いに流さてばかりでは自分を見失なう。だからその中で自分はどう生きてくかを常に考えてはノートにまとめたりしていた。

 そうやって行き着いたのが先にあげた生きていく道。じゃあどんな業界でどう自分の立ち位置を築いていくか、行動しつつ確立に近づける年が2024年になるだろう。
自分に対してその種がたくさん蒔けたのがこの2023年。今までの年と格段に違う物語のような一年が、終わりを迎える。

 出会いもあれば別れもある、どう頑張ってもどうしようもないことも、もう出会えない人もいる。そうなっても、自分の成長過程を見届けてくれた人に、どこかで見守ってもらえるように、生きて行こう。


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