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歴史的な価値といっても視点が違うことを学んだ二条城二の丸御殿と名古屋城本丸御殿の話

こんにちは、両兵衛です。

今回はいつものように武将の逸話を取り上げることはお休みして、ああ、そういう視点は欠けていたなと思ったことを書いてみたいと思います。

これを書いている今はコロナ禍で京都に緊急事態宣言が出ていますが、以前の宣言が解除されて少し落ち着いていたころ二条城に行く機会がありました。修学旅行できっと行ったことあったはずといううろ覚えの記憶があった場所ですが、二の丸御殿は徳川慶喜が大政奉還の意思表明した場所として有名です。

歴史上で二条城と呼ばれるものは複数あったとされ、現存するものは徳川家康が京都御所の守護と将軍の宿泊所として使うために1603年に作らせた城で、今ではユネスコ世界遺産に登録されています。

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二の丸御殿内部を歩いて見て回りながら、徳川家の栄枯盛衰を400年前から見てきたものとして考えると、そりゃ世界遺産だよな、それだけ価値あるものだよな、と単純に思ったわけです。


二条城二の丸御殿のように400年前から残ったものがある一方で、戦争の空襲によって焼けてしまい2018年に復元されたのが名古屋城本丸御殿です。

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こちらも徳川家康の命によって1615年に建てられました。焼失前の昭和5年には天守閣とともに本丸御殿は城郭としては初の国宝に指定されていて、戦後復元が待ち望まれていたそうです。

本丸御殿は3年前の完成まで3期に渡って公開されたのですが、私は完成後と2期段階の2回見学に行きました。

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名古屋城の場合、江戸時代の文献や図面、焼失前に撮られた写真、実測図など資料が豊富だったため、史実に忠実に復元が実現されました。復元工事には9年掛かったそうですが、よく復元したなと至る所に圧倒されます。

確かに凄いと思った一方で、400年以上前から残っている二条城二の丸御殿を思えば、名古屋城本丸御殿は復元として新しく作ったものなんだよな、と歴史的な価値を低く考えていました。

この考えがたった1つの視点に過ぎないと教えてもらえたのが、先月あった「にっぽん城まつり」の記念シンポジウムでの城郭考古学を専門とされている千田嘉博先生のことばでした。

千田先生は愛知県の城について、短い時間ながらいろいろなお話をしてくださいました。その中で復元された名古屋城本丸御殿に触れ、戦争で焼けなければ二条城二の丸御殿に匹敵していた御殿であったこと。そして、それは残念なことなのだけれど、新築の御殿は400年前に家康が見ていた景色であることを話されていました。

400年前からある二条城二の丸御殿は確かに歴史的な価値あるものだけれど、家康が見ていた景色をそのまま現代の私たちに見せてくれている名古屋城本丸御殿は、また別の歴史的な価値があるんだという視点に気づかせていただきました。

と同時に、なんでそこに気づかなかったのかと恥じました。古戦場や城跡に行って、今は開発されて当時とは景色は変わってしまったけれども、ここにはあの武将が見ていた景色があったんだとイメージすることがありました。本丸御殿はそのまま家康が見ていた姿が再現されているのに、その価値に気づかないとは。

ともかく、どんな価値があるかというのは、どんな視点で見るかによるものということを改めて2つの御殿から学んだ気がします。

本丸御殿と同じく戦争で焼けてしまった名古屋城天守閣も今の鉄骨鉄筋コンクリートから木造で復元する計画があります。いろいろな事情でなかなか進んでいないようですが、こちらも家康が見ていた景色が見られることを楽しみに待ちたいと思います。

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