天正12年(1584)3月24日は沖田畷の戦いで龍造寺隆信が島津家久軍に討たれた日。龍造寺軍は沼地・深田のあぜ道という畷の地形により大軍を活かせなかった。九州三強の一角を担っていた隆信の死は情勢を大きく動かすことに。地形を利用した家久と大軍を過信した隆信という構図なのでしょうか。
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