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感性の礎だったようで~江國香織『泣かない子供』を久々に読む~

 それは中学の頃、国語の模試を解いている時に出会いだった。問題の最後を見ると必ずある出典の表記。そこには「江國香織『泣かない子供』」とあった。

 ひねくれた思春期だったので、現代文なんか勉強する必要ないと決めていた。その代わり、模試や先生の話など出てきた本については、興味が少しでも湧いたものは書籍を買うというルーティンを設けた。江國香織作品で最初に買ったのは『冷静と情熱のあいだ』だと思っていたけれど、今思い返すと『泣かない子供』の方が少しだけ早かったかもしれない。

 歳上の女性と本の話をする時、好きな作家として江國香織の名前を挙げると、高確率で驚かれる。男では珍しいのだそうだ。ただ、中学の頃に感じていた江國香織の良さというのは、「なんだかよくわからないけど、江國さんの作品に出てくる恋愛が好き」という、非常にぼんやりした話であった。あの頃明確に好きだった恋愛テーマの小説といえば、村山由佳の『おいしいコーヒーのいれかた』シリーズとか、有川浩の『図書館戦争』シリーズなんかだったが、それでも、やっぱり江國香織作品が1番と思っていた。

 さて、改めて読み直すと「当時この部分を読んで感化されたんだな」と感じる文章がそこにはあった。いつしか女性の先輩に「江國香織が中学から好き?もしそれが本当なら、君が世間一般の恋活とか婚活に向いてない理由がよくわかるよ」と言われた。なるほどね、そうかもしれないと我ながら少し納得した。

私は私のやり方でしか人を好きになれないのですけれど。だって、人を好きになるというシンプルな感情を分類して、不倫とか遊びとか本気とかいちいち名前をつけるなんていうこと、どうしたってナンセンスでしょう?

江國香織『泣かない子供』ラルフへ

私は私の家族を愛している。そしてもちろん、それと同じくらい憎んでいる。愛するとか、愛されるとか、それはもう、それだけで一つの憎しみなのだ。

江國香織『泣かない子供』ありふれた変態たち

 「僕、本当に恋活とか婚活出来ないんですよ。関係性から入ると気持ちが入らないので、義務とか責任とかしか残らないんです。それは面白くないし、疲弊するだけって20代で学んだので、僕には向いてないですね。世間の人は器用だなって思います。」
 恋愛話について突っ込まれた時、基本NGな話は無いが、正直に答えるために上のように切り込むと皆んな面食らったような顔をする。世間と、時代も相まって、なんか自分と考えが合わないなとわかった時、無理に合わせてまで関係性を気づくことをやめた。その途端、少し足取りが軽やかになった気がした。もちろん、要所要所で、たまに打ちひしがれたりすることもある。インターネットが日常に溶け込んだ昨今、興味がなくても、求めてなくても、世間の価値観みたいなものはどこまでも自分を追いかけてくる。それを振り切れる体力は、身の回りの友と不変の言葉をくれる本のおかげだ。
 「しかし、なんでみんなと考え方が違うかね?このSNSと共にあった世代としては珍しい。」と自問自答することがたまにあったが、思春期の頃に触れた江國香織さんの文章の影響は、予想以上に大きかったようだ。

喫茶店は、誰かと一緒にいって素晴らしいときもある、と書いた。それはもちろん好きなひとといくときで、その場合、知らない喫茶店ならほとんどどんな店でも悪くない。問題は気に入りの喫茶店だ。いつも一人でいく気に入りの喫茶店に、一緒にいっても幸福なひと、というのはとても稀。好きなひととでなくちゃいけないし、いくら好きでも近すぎるひとはいけない。
だって旅人になりにいく場所なのだ。日常を持ち込んでしまうわけにはいかない。一緒にいくひとも、物語のなかのようなひとがいいのだ。心のなかではとても近くて、でも外側では遠いひと。

江國香織『泣かない子供』一人でお茶を

 「ねえ、一人の時間は欲しいタイプ?」と過去に聞かれたことがある。あの問いにちゃんと答えると、上の引用したようなニュアンスをしっかり伝えることが、自分にとっては正解だと今ならわかる。「ひとりが好き」とまでは言い切る必要はないけど、「誰かと一緒にいる時間を設ける」と言った方が自分にとってはしっくりくるし、おそらくひとりでいる時間があるということは、あなたの好きな私を保つためには必要だと思うのだけれど、多分これはもう他人には伝わらないんだろうなという諦めも芽生えはじめている。自分が自分でいられるために必要な時間や物、人について、自他共にもう少し認めてあげてもいいんじゃないだろうか。

 そういえば、今回の『泣かない子供』はもう家の本棚には無かったので買い直したのだが、表紙の文字が金字ではなくなっていた。たしか昔買った文庫は、金字でタイトルが書かれていたはずだし、なんなら表紙の質感も違う気がする。もう変わってしまったのだろうか。思い出の書籍にすら、コスパのような現代の波が襲ってきているような気がして、少し悲しかった。

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