being と well-being:サラリーマンが幸せになる方法 その1
これはサラリーマンが幸せになる方法について書いた note です。
前回の終わりで、心身の健康・心地よい環境・心許せる仲間・ありたい姿( being )の実現、を満たすことが「長続きする幸せ」だという結論になりました。今回は最後のワードである「ありたい姿( being )」について深堀りしていきたいと思います。
前々回【幸せを定義する その1】
https://note.com/ryo_wellbeing/n/nfc80d2008d23
前回 【幸せを定義する その2】
https://note.com/ryo_wellbeing/n/na4b1325f514e
ありたい姿( being )とは
敬愛する(株)圓窓 代表取締役 澤円さん や、幸福学第一人者 前野隆司教授など、社会の先端で活躍されている方が活動の根底に据えていらっしゃることが多い Being 。どうやらこれがマズローの欲求5段階説における5段階目の自己実現欲求の状態のようです。wikipediaから引用します。
自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。
このように、すべての行動の根幹とされています。
「自分の世界観・人生観に基づいて、「あるべき自分」になりたいと願う欲求」と解説している人もいます。さらにマズローはこの状態を「存在欲求 (Being-needs)」と定義していて、その他の欲求が満たされてなくても自己実現欲求の状態になり得ると言っています。
戦場カメラマンや国境なき医師団(第2段階:安全欲求の危機)、偽善・売名行為とバッシングされても慈善活動を行う著名人(第3段階:社会的欲求&第4段階:承認欲求の危機)等どのような逆境にも怯まず、信念に突き動かされて活動している方々がまさにその状態ですよね。
またマズローは晩年、5段階の上にもう1段階あるとし、これを「自己超越 (Self-transcendence) 」、この段階にある人を「自己超越者 (Transcenders) 」と呼びました。つまり自己実現を果たした先の状態という訳です。自己超越者の特徴をwikipediaから引用します。
1.「在ること」 (Being) の世界について、よく知っている
2.「在ること」 (Being) のレベルにおいて生きている
3.統合された意識を持つ
4.落ち着いていて、瞑想的な認知をする
5.深い洞察を得た経験が、今までにある
6.他者の不幸に罪悪感を抱く
7.創造的である
8.謙虚である
9.聡明である
10.多視点的な思考ができる
11.外見は普通である (Very normal on the outside)
全て備えていなくても、いくつかの特徴を持つ人であれば思い浮かべることが出来るのではないでしょうか?その人をイメージしてみると理解が深まる気がします。
being についてまとめてみます。
第1~第4段階の欲求が「何を得るのか」「何を成すのか」という doing の段階であるのに対し、being とは行動の源泉、その人の「生きる意味」なのだと言えると思います。
サラリーマンの生きる意味
「生きる意味」とは大げさな話になってしまいましたが、以前「人として軸がぶれている」と大槻ケンヂ氏が歌っていたように、生きる意味を「軸」に置き換えることで、自分事としてとらえることができました。これについて、お友達のと~るさんが分かりやすく note に書いてくれています。
自分の”軸”とは?|と~る @tooru_kawakami #note
コロナ禍にある今の社会を見るとこの考えを理解しやすいです。
ビフォア・コロナの時代、第3段階、第4段階の高次欲求レベルにいた人たちが、一気に第2段階:安全欲求の危機に見舞われてしまいました。この状況でいつまでも行動変容できなかった人。ワイドショーやネットのネガティブな情報に流され、コロナ禍前後で「軸」がブレた発言や動きをしている人。自分自身の反省も踏まえて、思い当たる節がいろいろあります。
しかし「ありたい姿( being )」という軸を持っている人は、どんなに社会が変わって行動変容を遂げても、その人の価値観・行動規範からブレてないのではないかと思います。
では「サラリーマンとしての軸」とは何のことでしょうか?
・稼ぐこと
・出世すること
・良い業績を出すこと
・プロフェッショナリズムを全うすること
・顧客を笑顔にすること
などが思い浮かびます。
しかしそれらは being ではなく実は doing にあたります。
もっと突き詰めて考えて、そうした行動を起こす理由は何か?を追求していくのです。何故それをするのでしょうか?なんのために?
そうしてたどり着いた答えがサラリーマンにとっての軸、つまり「ありたい姿( being )」なのだと私は考えます。
サラリーマン=ひとりの人間
サラリーマンと限定している割に、それって「人としての軸」じゃないか?という意見もあると思います。そうなんです。
私たちはサラリーマンである以前にひとりの人間です。人としての「ありたい姿( being )」に照らし合わせた上でサラリーマンになる選択をしているのかどうか、が大切なんです。
サラリーマンとして働くことが「生きる意味」とリンクしている。
これが「ありたい姿( being )の実現」を満たしている状態。「サラリーマンにとっての長続きする幸せ」なのだと私は考えます。
言葉にしてみると当たり前だなあ、と感じます。しかしこの当たり前を実現できている人は、実は少ないのじゃないかとも思います。少なくとも私の身の回りではそれほど多くありません。
being と well-being
「well-being」または「wellbeing」という言葉があります。
1948年にWHO(世界保健機関)が出した憲章の中で作り出した造語です。
「健康とは、身体面、精神面、社会面における、すべての well-being(良好-性)の状況を指し、単に病気・病弱でない事とは意味しない」
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”
日本語では幸福・福利・安寧などと訳されることが多いのですが、上の憲章を見てみると、微妙に意味が違うことが分かります。無理やり訳すと、
心身および社会の関わりが良好な状態
といったところでしょうか。
これまで書いてきた事と関わりが深そうな概念です。つまりこの note においては、心身の健康・心地よい環境・心許せる仲間・ありたい姿( being )の実現の4つが良好な状態を 「well-being 」と定義したいのです。
そしてもうひとつ。
well-being には being という文字が含まれます。この言葉を無理やり解釈し「being が wellである」→「ありたい自分が良好である」という意味を持っていると拡大解釈することにします。
大きな災害やコロナ禍の状況下、また個人的にいたたまれない状況おかれたとき、どれだけ being をしっかり持っていたとしても、私には完全に幸せだと自信をもって言うことができません。
ありたい自分であり続けるために、being のレベルで生きていくために、being を健全に保つことが不可欠です。そのためには「 well-being 」を満たしている必要があり、逆に「 well-being 」であるためにもまた「 being 」が必要不可欠なのです。
being と well-being はそれぞれ左と右の翼であり、両翼がそろってこそ羽ばたくことが出来るのです。
結論
”「サラリーマンとして長く幸せでいるため」にありたい自分( being )を軸に持ち、ありたい自分を良好な状態( well-being )にし続けることこそが何より大切である”
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。今後この note では、being を良好に保つための well-being について、私なりの考えや、仲間たちと見つけた「コツ」「ひらめき」などを綴っていきたいと思います。どうぞお楽しみに。
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