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幸せを定義する その2

前回の続きです。
収入・身分・贅沢な暮らしを極めても、そこで得られる幸せは長続きしないのでサラリーマンにとっての「長続きする幸せ」について考察してみる回になります。

前回も書きましたが「非地位財」による幸せが長続きする、ということでした。非地位財とは、健康(生理的欲求)や良好な環境(安全欲求)、帰属意識(社会的欲求)そして愛情などです。サラリーマンが職場に愛情を求めると、ちょっと誤解を招きそうなので、それ以外で考えますと、マズローの欲求5段階の低次欲求3つが相当するようです。

低次?の欲求

生理的欲求 → 健康経営
安全欲求  → 快適かつ革新的なオフィス
社会的欲求 → 働きがいのある会社カルチャー

働き方改革の文脈で受賞をしていたり、メディアでよく上げられたりする組織の活動にリンクしているように思います。どうやらここにヒントがありそうです。Vorkers(2018年)・Great Place to Work®(2019年)と毎年「働きがいのある会社・企業」ランキング1位を取っているセールスフォース・ドットコム様でも、先日オフィス見学をさせていただいた際に垣間見ましたが、3つの欲求に沿った施策を過剰な程これでもか、と仕掛けていました。(こちらについても後日 note に記したいと思います)。
組織目線でサラリーマン(従業員)の幸福度を向上させるとしたら、現状、この辺りの施策が最善に思われます。これを便宜上「働きがいのための施策」と名付けましょう。働きがいのための施策が充実した企業で働く人は、働くうえで長く続く幸福感に満たされることが容易に想像できます。
では働きがいのための施策が満たされていない職場で働くサラリーマンは、この施策が降ってくるのを待つしかないのでしょうか?それともこうした職場へ転職するしかないのでしょうか?

個人の幸せ

われわれ個人が自分自身に対してできることはないのでしょうか?働く身として自身の幸福度を上げる方法について考察してみます。
まず長続きする幸福に対比する低次3欲求を考えてみましょう。

生理的欲求 → 食べたい・寝たい等の本能
安全欲求  → 安全安心な暮らしのある住処。健康。
社会的欲求 → 集団属性、仲間。

あまりサラリーマンに限定されない対比となりましたが、無理やり職場と個人で紐解いてみますと、食事をする間もない長時間労働で睡眠時間を削って働き(生理的欲求の脅威)、そうした労働がたたり健康を害し(安全欲求の脅威)、上司や同僚からのパワハラ・モラハラによる人間関係の切り離しで疎外感・孤独を感じる(社会的欲求の脅威)、とブラック企業でよく聞く事例は、まったく幸福感の逆張りであることが分かります。低次欲求が脅威にさらされている場合、一刻も早く、その環境から逃れることが必要そうです。

逆に、食事に気を使い睡眠を充分に取り心身の健康を向上させ、オフィスに限定しない心地よい労働環境下で仕事をし、適度なスポーツなど楽しく体調管理をして、社内・社外の心許せる仲間と一緒に活動する、という姿が個人が能動的に行える低次3欲求を満たすモデルではないでしょうか。おそらく、最近流行りの「心理的安全性」も安全と名がついていますが他人との関係性を表しているので社会的欲求だと思われます。こうした状況を自分から作っていく、というのも重要そうです。まとめますと、

心身の健康・心地よい環境・心許せる仲間

を自ら取りに行く、という活動が長続きする幸福感を手にするうえで重要そうです。さらに3項目すべてに「」が伴うという特徴があるようです。

低次欲求だけではない

長続きする幸福のためには低次3欲求を満たしていくことは必要そうですが、これだけで十分条件でしょうか?直感的に違う気がしますね。自分の身の回りの「幸福感」にあふれる人を見ると、どのような共通項があるでしょうか?そこでマズローの高次欲求「尊厳欲求」「自己実現欲求」について考えてみましょう。

尊厳欲求   → 地位・評価・技術や能力の取得向上
自己実現欲求 → 正に自己実現・ありたい姿 ( being ) の探求

尊厳欲求(承認欲求)を前回は即物的としましたが、”技術や能力の取得向上”という毛色が違う欲求があります。技術や能力が高まると、他人から認められる羨まれる、という欲を満たす面もあるとは思いますが本筋ではありません。褒められるために成長するのではなく(動機付けにはなると思いますが)、獲得し研鑽した技術・能力をしかるべき場所で発揮するため、のはずです。この状態を「自己実現」と呼ぶのだと思います。

自己実現欲求

では実現する自己とは何でしょう。
尊厳欲求で身に着けた技術・能力は自己に内包されると思いますが、それが全てではないですよね。実現する、ということは、まだ完全にその状態ではない、と言い換えられます。つまり実現したい自己=未来の自己=ありたい姿( being )を実現していくために身に着けた技術・能力を発揮していくフェーズと言えると思います。
充分に低次欲求を満たして有り余る財力をもったお金持ちの方々が、他者への貢献や宇宙開発などに傾倒していく背景には、財力・能力・技術をもって自己実現するための行為、ありたい姿( being )を実現する行為( doing )が最後の欲求だからなのだと考えられます。

長続きする幸せの定義

サラリーマンとして長続きする幸せを手にするためには、以下の条件を満たしていけば良さそうです。

心身の健康
心地よい環境
心許せる仲間
ありたい姿( being )の実現( doing )

いかがでしょう。あなたの考えていた幸せとリンクしていますでしょうか?「言われなくても分かってるよ!」という感じでしょうか。ただ漠然と分かっていることと、言語化して認識しておくことはイコールではありませんので、こうして言語化し再現性をもたせることに意義があるのではないかな、と思います。つまり上記4点を明示的に意識して満たしていくことが、多くの人にとって長く幸せでいるための目標設定とすることができます。少なくとも当 note ではそう定義します。

being と doing

ところで being は「居る」「在る」とも訳され doing とは逆ベクトルの言葉です。勝手にメンターとして敬愛している澤円さんによる、doing ではなく being が大事、という言葉があります。これは闇雲にただ手を動かすのではなく、ありたい姿の実現のために行動すること( doing / action )が大事、と仰っているのだと思います。
では being さえ実現できれば、短期的な成功報酬に留まらず、いつまでも幸せでいられるのでしょうか?

次回は being について考えてみます。


※当 note は Kip さんによるイラストACからのイラストを使用しています


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