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信頼してますか?されてますか?:サラリーマンが幸せになる方法 その48

これは、サラリーマンが幸せになるために「ありたい自分( being )を軸に持ち、ありたい自分を良好な状態( well-being )にし続けること」について書かれた note です。

前回、心理的安全性と信頼について書きました。その時の気付きは「自己開示すると信頼されるだけじゃなく逆に相手を信頼できるようになる」というものでした。でもこれは信頼とちょっと違うのでは?という考えが浮かんだので、今回信頼をテーマに掘り下げてみます。

信頼と信用

信用貯金、信用経済という言葉があります。その人の言動の積み重ねが信用の貯金となり、少しくらいの失敗やネガティブな言動も、貯金があるうちは信用を失わずに済むという考え方が信用貯金。

どうせ同じお金を使うなら、赤の他人よりも自分自身にとって信用貯金がある人物にお金をつかおうという世界が信用経済。という理解です。

つまり信用とは「過去」に対する評価。
対して「未来」への期待が信頼、とよく言われます。

では信用>信頼という時系列なのかというと必ずしもそうではありません。小さな子供は何も実績がありませんが、信頼してひとりでやらせてみる、というシーンはよくあります。ある程度教育が済んだら、新人スタッフでも信頼して任せてマイクロマネジメントをしない、という現場も多いと思います。子供も新人スタッフも、過去の実績がないので信用はありません。信頼しても信用するな、という言葉もありますが、しかし信頼はできるのです。

今回、” ここ ”を掘り下げてみます。

受け取るもの?与えるもの?

信用は、対象者のこれまでの経緯・経歴を評価者が受取り判断して信用するのだと思います。受動的な行為です。

では信頼は?
私は能動的な行為だと考えています。
信頼する対象の人物が信頼して欲しいと思っているとします。「私を信頼してください」と言われても、信頼は未来に対する評価。その人の「何か」で未来を予測するしかありません。その一つは信用でしょう。しかし信用のない人物に向ける信頼は何をベースに成り立つのか。

ずばり愛、もしくは情ではないでしょうか。

よく人格、人柄を信頼するという意見があります。でも人格が良くなければ信頼しないのでしょうか?ダメな奴でも信じて託すってこと、ないでしょうか?裏切られてもいい。騙されてもいい。そう腹をくくって任せて託す。これはもう、愛以外の何物でもないと思うのです。

自分がそうしたいから信頼する。
能動的なアクションです。

応援と愛

では何をもって信頼タグを能動的に与えるのか?

前回、私の経験として本来の自分を開示し、それを受け止めてくれた相手を信頼するようになったという気づきを書きました。

そして自己開示した相手から信頼される、と書きましたがちょっと考えを改めました。この人は嘘をつかないという信用は得られると思います。しかし未来に期待を寄せる信頼となると違うケースもあるように思います。

私が信頼を得たと思っていたものは、応援という愛情ではないか。

自分の弱い面、悪い面を見せてきた相手を信頼するでしょうか。これはもう好き好きです。しかしそこまでする相手であれば、人情がわくと思うのです。そして頑張って欲しいと応援する気持ちがわくのではないでしょうか。

だから相手のアクションに対して信頼する。
これは結果論であって、因果ではないと考えています。
やはり信頼とは、自分から相手に対して「そうしたいからそうする」という能動的な行為に他ならないと思うのです。

自分の属性か否か

信用経済。
確かに今現在はそうなりつつあります。
でもその弊害として信用する信用しないによる断絶ができているように思うのです。簡単に書くと、どれだけ確かな実績を積んでも、受け側のバイアスによって信用する信用しないが決定されるということです。

例えば、
ワクチン接種に積極的な思想の人がいたとします。
ある政治家が、ワクチン接種の推進に非常に良い貢献をしていたとしても、その政治家の政治理念が自分と反するからこの政治家は信用できない、と判断するケースは非常に多いと思います。

フェミニストだから信用できない。
ビーガンじゃないから信用できない。
こうした例は数多あると思います。これが現在起きている断絶のひとつの側面じゃないでしょうか。

人物にタグが付くのは悪い事ではありません。
非常に分かりやすく、スピードと効率を促進します。
しかしタグだけでインスタントに判断し、その人の個々の活動、行為そのものに対する正当な評価を阻害しているケースをよく見るように思うのです。

バイアスによって信用できない。
信用できないから、彼・彼女は悪である。こんなインスタントな世界になっているのではないでしょうか。

だから信用できなくても信頼する。
このメカニズムが大切なのだと考えたのです。

開かれた世界

信頼とは相手に対して開かれた状態です。
疑心暗鬼を捨てた、愛のある状態です。

これを誰に対しても行え、と言っているのではありません。しかし信用できなくてもオープンな姿勢でいることは出来ると思うのです。いったん、相手の言い分、相手のスタンスを受け止めてみよう。それは出来るのではないでしょうか?

たったそれだけで、
「自分の主義主張だけで判断し、人が嫌がってもお構いなしにマスクなしで集まる」
とか
「自分の正義だけに照らし合わせワクチンなんか打たない」
という状況が解決できると思うのです。

自分ではない他人の不安に寄りそう。
オープンな心で人類を信頼してみる。

世界をよくするためにできることの一つだと考えています。

まとめ

1.信用は獲得できるが信頼は難しい
2.信頼は自分からするもの
3.信頼する姿勢で世界を良くしよう!

今回は結構、想いだけで書きました。信頼ってもっと多様な意味あいだと思っていますが、あえて狭義に書いてみました。信用が悪いといっているのではなく、信用に寄り過ぎているのでは?という懸念から信用を超えた概念として信頼を使わせてもらいました。

こんな乱暴な理屈でも、あなたのヒントになれば幸いです。

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