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日常を回すということ

なんだか定期的に「回る」をテーマに何か書いている気がする。

それくらい生きているといろんなものがぐるぐる回っている。
目に見えるもの、目には見えないもの、いろいろだ。

中でも「日常」ってずるい。
気づかないうちに回っている。

いや、時間という概念が存在しているから正確には見える形で回ってはいるんだけど、気づかないうちに時間が過ぎて1日が終わって明日が来て、1週間が終わって1年が終わって、、、、と。

しかも最近日が長いからなおさらだ。

私はたびたび「日常を回すのへたくそだな~」と思う。
と同時に「生きるのって大変だなぁ」と思う。飛躍してるが。

日常を回すのが苦手なのは事実だ。
何かを「残しておく」ということが苦手で、そこに自分以外の相手が絡んでいたらなおさらで。”早く片付けないと”と心がザワザワする。

人に頼むのも苦手だ。
「だいたいこれくらいでやってくれるだろう」って時間を読める人だったら安心して頼めるけど、そんな人なかなかいない。待つことしかできない状態がもどかしく、「自分でやった方が早い」となってしまうことがある。

「小さい頃の癖」「小さい頃の環境」というのが言い訳になることはわかっているけど、やっぱり自分でコントロールできない部分には怖さを感じるのかもしれない。マネジメントしていくには現状向いてない(笑)


そんな感じでただでさえ日常を回していくのがへたくそなのに、いろんなものを自分でやろうとすると頭の中が一気にぐるぐる回る。なんなら目も回る。その流れでどうせなら身体も回したくなる。

で、ごちゃごちゃ~ってなって、何とかタスクを消化できてきも心のぐるぐるは解消されず残ったままになる。いつも取り残されるのは自分の心だ。

そんな感じで勝手に回って「わぁ~」と言っている日々だけど、実は「やること」「やらなきゃいけないこと」というのは回らずにじっとそこにあり続けているわけで。

自分がふわふわしてるから、まるでそこにあるものもふわふわして浮いてるように感じて、1日で拾いきれないことがあって。


だったらもう「日常に組み込む」しかないんだろうなと思う。

互いが互いにふわふわするんじゃなくて、どっちかをどっちかに組み込む。自分がどしっと構えることは、とりあえず無理なので、目を回しながらやっていくしかないのは変わりない。その回転の中に、「やること」「やらなきゃいけないこと」を最初から組み込んでおく。

日々のチェックポイントにしちゃう。回りながらも、目的目標に近づいているかの目印にしちゃう。

それくらいのことが大事なんだろうな。


きっと。

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