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強くて柔らかいこだわりを

「こだわりが強い人」とだけ聞くと、ちょっとネガティブな印象を受ける。自分中心な、というか、自分だけの世界で生きているというような。

じゃあ「こだわり」を持つことが良くないことなのか、というとそれはまた違うと思っていて。むしろこだわりを持っているってすごく大事。そんな思いで昨日あるポストをした。

「強くて柔らかいこだわり」

完全に造語だ。こんな言葉は存在しない(はず)。

ここまでつらつらと、こだわりが強すぎることの良くない側面を連ねてきたけど、こだわりがない方がつまらないとも思っている。こだわりって言ってしまえば自分の意思だ。

「自分はこう思う」「自分はこうしたい」

そこには自分の考えがある。

中には「特にこだわりないんだよね」「なんでもいいよ」という人もいる。何なら自分もそっち側だった。それにたまにはそういう場面もあっていいと思う。だけどありとあらゆるものに対して、こだわりがないってつまらないし、ダサいなとも思う。

こだわりを持つということは、そこに自分の意思があるわけで。そこに自分の意思があるということは、その責任を負うという覚悟なわけで。

ある有名なCMで「そこに、愛はあるんか?」というフレーズがあるけれど、それと同じくらい「そこに、意思はあるんか?信じられる意思はあるんか?」と問いかけたいくらい。自分の人生に覚悟と責任は持っていきたいものだ。


ただここで、自分の意思、こだわりを貫きとおそうとすると冒頭のように良くない印象を与えるわけで。

そういった意味での「柔らかい」こだわりなのだ。

固いものって外からくるものを受け付けず、跳ね返す。
でも柔らかいものって受け止めてくれる。イメージとしてはそんな感じ。

自分にも強いこだわりがあるのと同じように、他の人にはその人なりの強いこだわりがある。それで反発し合うのってよくない。お互いがお互いにさ、認めていこうよって。「その考えもあるね!」って。

なんならいいものは自分のこだわりに踏襲していくのだってありだと思う。


こだわりを持つ覚悟、そしていろんな人のこだわりを知る面白さ。
大事にしていきたいな。

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