「おまけ」と「余計」の違いってなんだろう
単純に疑問を持ったことがある。
「おまけ」と「余計」の違いってなんだろう、
って。
言葉のちゃんとした意味合い的には、正式な対義語ではない。
「余計」の対義語だったら「不足」とか「ちょうどいい」とかか。
なんなら「おまけ」の中に「余計」なものが含まれている可能性だってある。
だけどそういった、”かもしれない”部分は一回排除して安直に考えると、「おまけ」と「余計」って相反するもののように感じる。
まずもって「おまけ」と「余計」の共通点でいえば
”なくてもいいもの””なくても成り立つもの”
という部分。
おまけも余計も、元あるものに+αされているものというわけで。
その部分では一緒。
では「おまけ」と「余計」に感じるニュアンスは?
おまけって、その言葉を聞くだけでなんかお得感とかラッキー感とか幸せな感じになる。「予想していなかった付加価値がついてきた!」みたいな。
一方で余計って、ちょっと残念な気持ちになるというか、ありがた迷惑というか、「なくてもいいのになー」という気持ちになる。
同じ「+α」で、受け取られ方によってなんでこんなにも違うのかな?というのが単純な疑問として湧き上がった。
例えば、「ぶどうができました」という文で考えてみたい。
どちらもぶどうができた、という事実に変わりはない。
だけどAパターンとBパターンだったらどっちのぶどうの方が食べてみたいだろうか。
私の場合、Aパターンだ。
だってそりゃ甘くて美味しいぶどうの方が食べたい。
きっとAパターンもBパターンも事実を伝えてくれているんだと思う。
だからBパターンのぶどうが甘くないわけではない。
だけど人は実際に食べて判断をしない場合、そこに付随する言葉を判断の材料にする。だったら「甘い」と保障されているAパターンの方を選ぶだろう。
これが「おまけ」のパターン。
もう1つの例。今度は「余計」について考えてみたい。
「性格を直した方がいい」というちょっと言いづらい内容。
あなたは他人に指摘される場合、どちらの言葉で言われた方が言葉が入ってくるだろうか。
私はパターンAだ。
パターンBの方の「直さないとこの先苦労するよ」という言葉、確かに苦労するのかもしれない。だけどちょっとこの言葉が余計に感じてしまう。やさしさなのかもしれないが、余計なお世話と捉えられてもおかしくない。
それならパターンAのように「もっとよくなるよ!」と言われた方が直したくなる。
たかが言葉だが、されど言葉だ。
総括してみると。
「おまけ」も「余計」も基本的に❝相手のため❞を思っていってること。
だけどその言葉が与えるニュアンスは天と地の差がある。
「余計」と感じるものって、言う側の価値観の押し付けの部分があると思っていて。
一方で「おまけ」って、この一言でちょっと幸せになってくれたらいいな、くらいの気持ちなんだと思う。
そんなちょっとした幸せのおすそ分けを、「おまけ」の言葉として表現していきたいなって思う。