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主観と客観、情熱と冷静

主観と客観のバランスが大事。

そういった言説をよく目にする。確かにな。
ありきたりな表現だけど素直にそう思う。

そもそも主観と客観ってなんなのか。

主観:自分で自分を評価すること。
客観:他人が自分を評価すること。

理解しようと思って調べたのに、調べたらよりわかんなくなった。

私が好きな、言語化が上手い本の編集者の方がいる。
その方がちょうど最近「主観と客観」について言語化していたのでメモをしていた。

主観:著者のことが大好きだから、著者が望むことは実現させたいなぁ。
客観:著者の商品を買う方たちは、どんな著者の姿を見たいかなぁ。

冒頭の例は”自分”と”他人”という2者によって生じる主観と客観だったからわかりづらかったのかもしれない。今上で述べたのは自分の中にある主観と客観だからイメージしやすい。

上の例で話を続ける。

主観と客観。
もしどちらかのバランスに偏ってしまったらと考える。

主観が強いと、それは読者(その先にいる人たち)を想像できないマーケティングセンスゼロなアプローチになりかねない。大げさではあるが、対象が望むのであれば犯罪をも認めかねない。

逆に客観が強いとどうだろう。
客観が強いと著者(対象)への愛が足りない状態になる。


じゃあどうやってこの主観と客観のバランスを考えていくのかという部分。その本の編集者の方は”最大不幸”を基準に考えるという。幸せを基準に考えるのではなく、だ。

「なるほどな」

思わずそうつぶやいてしまった。

幸せのかたちっていろいろある。それに変わっていく。更新もされていく。そうなると基準も変わりやすくなる。

その一方で誰かにとっての不幸せはずっと不幸せだ。それが変わることってほとんどない。だから基準にするのだろう。

例えば著者(対象の相手)が○○したい!といったことでも、読者(その先にいる人)がそれを望んでいないと判断すれば「No」を決断する。

逆に読者(その先にいる人たち)がどんなに求めていても、それをすれば間違いなく売れる(成功する)とわかっていても、著者(対象の相手)にとってそれがアンナチュラルだと判断すれば絶対にやらない、と。


それを情熱と冷静で判断する、と言語化している。


情熱のない冷静さ。
そこに温度は感じない。そこに「らしさ」は生まれない。”いいもの”が溢れている今の時代に、最後に選ばれる決め手はそこに込められている想いだったり、その人の人柄だったりする。そこを感じるのは「情熱」あってこそじゃないだろうか。

冷静さのない情熱。
確かに勢いはあるかもしれない。でもいつ沈むかわからない。そもそも走っている方向が合っているかもわからない。効率効率、、、という話はあまり好きではないが、それは最低限の効率があってからの話だ。


主観と客観。
情熱と冷静。

50:50じゃない。
100:100で。


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