ノートに言葉が書き溜まっていくと、自分の心も満たされていく
ここでの「ノート」はその名の通り、紙のノートだ。
すっかり私がnoteに取りつかれているのは言うまでもないが、自分自身の原点でもあり今も頂点は、紙のノートだ。
「塩浦良太」と「書く」という行為は切っても切り離せない関係だ。
いつしか書くことが好きになっていた。
その理由は分からない。
「文字綺麗だね」って言われたからだろうか。
書いた文章を褒められたからだろうか。
作文で賞を受賞したからだろうか。
何はともあれ、何かと敬遠されがちな「書く」という行為を、自分は一度も嫌だと感じたことがない。
本格的に「書く」ことにハマったのは大学時代。
きっかけは前田裕二さんの『メモの魔力』だった。
そんなことを目にし、「なるほど」と思った流れで前田さんが最初に書いた本『人生の勝算』を読み、その半生に感銘を受けた。環境に屈しないたくましさに、どこか自分のこれまでと重ね合わせて自分ももっと強くなっていきたいと思った。
そんなこんなでメモをめちゃくちゃするようになった。
日常の気づきとかもそうだし、自分がいいなと思った言葉もメモした。学びもメモした。
メモする時は、情報だけをメモするんじゃなくて、「なんでいいと思ったのか」「自分だったらどう考えるか」みたいなことまで書いて、自分だけのノートをつくっていった。そうやって書き連ねていったノートたちは今でも自分の御守り代わりになっている。
社会人になってメモをする量は変わっていないか、むしろ増えているくらいだが「書く」量が減った。スマホでのメモが増えたのだ。
それはなんとなく想定内だった。仕事をしているといちいちノートを開いて書く、というのがどこか時間がもったいなかったりする。スマホの方が整理もしやすい。しょうがないかな、と思ってた。
でもやっぱりそれはどこか物足りなかった。
仕事という意味でのメモは十二分にとれているが、自分の心が満たされるためのメモがとれていない感じがした。空虚な感じというか。
それくらい、自分にとって「書く」、書きながら気持ちを整理するということは重要な根幹を占めていたんだということに気付いた。
今でも定期的にノートを開いて好きな文章、心にとどめておきたい文章、良かった気づきなどを書き留めるようにしている。
書きながらその言葉や気づきを味わう。時間が空いてからまた見直す。
そんなことで心が満たされている自分がいる。
自分の機嫌の取り方。
その1つが”わざわざ書く”ということなのかもしれない。
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