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「期待」の後出しじゃんけん

「期待」って本当に素敵で、本当に厄介なものだ。

期待される側からすれば、
時にそれは自らのエンジンになり、時にそれは足枷になる。

期待する側からすれば、
時にそれは信頼の証拠であり、時にそれは失望のきっかけになる。


これまで何度も私は記事で「期待」にかかわる内容を書いてきた。
それくらい悩んできたし、悩まされてきた。

期待されてうれしかったこともあるし、
期待されて苦しかったこともあるし、
期待をして良かったと思うこともあるし、
期待してがっかりをしたこともあった。

そんな思いを私は「期待のジレンマ」と称し、記事にした。

期待をする分にはいいけど、それで望み通りの結果が出なくてもそれはしょうがないよ、だって期待するのは自分勝手だからね、という話だった。

これは期待を「する」側だけの視点に立ったものだった。

じゃあ「される」側はどうだろう。

もちろん例外はあれど、期待をされるのってうれしいものだと思う。
だって自分の力を認められてそのうえで発生するのが「期待」だから。

「例外」として挙げたのはその期待に縛られすぎて身動きがとれなくなること、”自分らしさ”と”期待”の方角が別々を向いていることがあるから。

そんな例外を除いて、自分らしさと期待の方角があっているとき、「期待」はエンジンになる。

じゃあどんな場面で「期待」が悪い方向に変わるかっていうと、

「期待してたのに、、」
「期待外れだよ」

などを結果が出てから言われることだと思っていて。

いわばこれは「期待の後出しジャンケン」だ。

こんなもの言われた方からすれば、

「知ったこっちゃないよ!」

という話だ。なんなら、

「期待してた通りだよ!」
「やっぱりね!」

みたいなことを結果が出た後に言われても正直「ん?」となる。そんなの後出しじゃんけんじゃんって。


それくらいだったら真正面から「伝え」られた方がいい。

私はあなたに期待しているんだ、と。

その方が気持ちの準備ができる。中には伝えてもらえることで、「期待」が可視化されることでモチベーションにつながることだってある。

期待を伝えるということは、伝える側も「あなたの船に乗りますよ」というメッセージだ。伝えられた側は「船を沈めてはいけない、、!」という気持ちになる。

思っていても思いは伝わらない。
言葉にして伝えるしかないんだ。

特に「期待」は、思っておくならずっと自分の中で思っているだけにしておいて。後出しじゃんけんをするくらいなら最初から伝える。その方がいい。


私は仕事で就労支援をしているのだが、利用者さんに対して「期待」を結構伝える。

「○○さんなら出来ます!」

でもだからこそ現実と向き合うというか、厳しいことも伝えることがある。だけど何でそれを言っているのか、利用者さんもちゃんと理解してくれている。


後出しじゃんけんはしない。
期待したい人、信じたい人に対してはフルベットし、それを言葉で伝える。

そんなことを大切にしていきたい。



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