「頑張る」と「頑張らない」の境界線
ありがたいことに生まれてこの方何かと褒めていただく機会がある。
何か特別なことをして褒めていただくというよりかは、やるべきことをやるべき通りにこなした結果、みたいなことが多い。
学校なんか特にそうだ。
学生にとって当たり前のことを当たり前のようにやることほど、実は難しかったりする。
そういった意味で私はやるべきことはやってきたつもりだ。そんな姿を見て、
なんて言われたこともあった。「しっかりしている」、まわりからそんな風に見えることがあるらしい。
だけど知っている人は知っている。私って結構テキトーだ。言い方は難しいけど「力を抜く」ことも結構ある。だからこそここまでやってこれたと思っている。正直、すべてに対し全力で取り組んでいたら私はとっくに潰れていると分析している。
あんまり多くはないけれど、自分が思う自分のいいところの1つは「頑張らないことを選べること」だと思っている。
そりゃ頑張らなきゃいけないことは頑張る。やるべきことはちゃんとやる。そこは大事にしている。だけど出来ないことは無闇にやらないし、無理してやろうと思えば出来ることも無理をしないことだってある。
人によってはそれを「甘え」ととるかもしれないが、自分にとっては自分の中での長く強く走り続けるための最大値を出力している感じだからこれ以上の最適解はない。(たまに外れ値に挑戦して、限界を伸ばす)
感覚としては自分の中に常に”天秤”がある。
どっちの行動を選択した時の方が、自分が欲しいメリットを得られるか。欲しくないデメリットが大きいか。
例えば明日までにやるべき宿題があってそれが終わっていないとする。
それなら多少自分に負担をかけてでも徹夜をして終わらせる。
一方で早いうちにやっておいた方がいい課題があってそれが終わっていないとする。ただその日は最高に疲れていたとする。
それなら私はその日は早く寝っちゃって、翌日にその課題に取り組む。
どちらも「やった方がいい」ことに違いはない。
ただ緊急性という観点と、効率性という観点と、自分への負担という観点で考えた時に天秤の触れ方が変わってくる。結果、選択する行動も変わってくる。
これにはもちろん難しさもある。それは、
という部分。
自分の中で「緊急性は高くない」と思っていても、それに関わる相手にとって緊急性がすごく高いものだったらそれは「緊急性が高い」ものだ。
また自分が夜型か朝型か、だったり余裕がある時に力を発揮するのか、追い込まれた時に力を発揮するのか、だったり自分のことを知っていないと選択したことの効果が薄れることだってある。
そういった意味で自分は自分の活かし方をなんとなくわかってきたからこそ、自分なりの「頑張る」と「頑張らない」の境界線を持つことが出来ているんじゃないかな、と勝手に分析している。
「頑張らない」を選択できるからこそ、頑張りたい時に「頑張る」を選択できる。頑張った先で「頑張らない」を選択できる自負があるからこそ、頑張り続けることが出来る。
逆にここの境界が曖昧になってきたり、自分の意図とは違うかたちで崩れてきたりしたら危ないと思っている。実際そういうこともある。
だから「1回境界を持てば大丈夫」ではなく、その日その瞬間で向き合っていかなきゃいけない。
皆さんは、自分に対して「頑張らない」を選んであげることはできますか?
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