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誰かの言葉に引っかかったとき

誰かの言葉に引っかかったとき、その言葉をメモするようにしている。場合によってはメモできない状況の時もあるが、その時は留めておいて後で反芻する。

「引っかかる」という言葉も実に抽象的だ。
”いい引っかかり””違和感の引っかかり”の両面がある。

「いちいちそんなこと気にしてたらもたないよ」

みたいないわれもある。確かに気にして誰かに迷惑をかけるくらいなら、流した方がいいこともあるけど、そうじゃなかったら自分の中で噛みしめたいな・味わいたいなと思う節がある。

だって「引っかかる」ということは、それがプラスの面だとしてもマイナスの面だとしても”自分にとって新たな気づき”であるということに変わりはないから。自分にとって当たり前の言葉だったら、スンスンと通り過ぎていくはず。でもそれとはちょっと違うから引っかかるわけで。それを引っかかったまま気にしていないとどんどん詰まっていって、”新しい言葉””新しい価値観”が入っていかなくなると思っている。

言葉そのものがもつ「輪郭」だけで判断せず、

「どういった流れでこの言葉が出てきたのかな?」
「自分だったらどう解釈するかな?」

みたいに、相手の言葉の背景を紐解くと同時に、受け取った自分の心も紐解いてみて、それがどう「引っかかり」につながったのか分析するのが面白い。

その分析をすることで、自分の琴線に触れやすい言葉もわかってくるだろうし、傷つきやすい言葉もわかってくる。と同時に、その背景まで理解できれば、今よりももっと優しくなれる気がする。

感情って言葉よりも早いから、なんとかそこを逆転できるように後者を習慣化させた方が絶対いい。

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