だから今日も保ててる
基本的に隠し事なしでありのままをお届けするスタイルだけど、
じゃあ誰に対してもそれでいけるかというと話は別だ。
場所によって選ぶ言葉は変わってくる。
それは発信でも同じで。
XかInstagramかnoteかなどなど、それらの媒体によって発信内容もちょっとずつ変わってくるのがリアルだ。
そう考えた時、自分の中でXは結構敷居が高い。
それでも結構フランクさを意識はしているが、やはり知っている人が多いし、拡散もされやすいし、そこまで興味なかったとしてもフォローしてくれる人もいる。
そういった場で言葉のチョイスをミスすると遠回しに誰かを傷つける可能性もあるし、行間を読まれず一部を切り取られた間違った解釈をされかねない。Xに課金をしているわけではないので140文字という制限もある。
自分の感情をスッキリさせるためだけであれば、周りの事なんか気にせず呟いちゃえばいいんだろうけど、そこは自分のストッパーが効いている。
何も、誰かを傷つけたいわけじゃ当然ない。
だけどたまに正論をズバーンと言いたくなる時がある。「これどうなの?」と。でもこれまで言い続けても変わらなかった部分であると同時に、正論っていうだけじゃ何も解決しない。
どこかのキャリア系の動画で見て、
「言っても無駄」「居ても無駄」という言葉が強く頭に残る。
だから自分のメンタル時に流れがよくない時は大衆向けには呟くことはあまりしないようにしている。言葉を探して探して、「でもなんか違うな」というセンサーを働かせるようにしている。
でもnoteの投稿は続けている。
正論も噛み砕きながら書くことが多い。
ここにわざわざ到達してくれる人たちは「読む」ことを大切にしてくれるから。言葉の一部を切り取らず、文章を見て考えてくれるから。
そんな居場所に安心して、書きたいことを書きたいように並べることが出来ている。文章にしていく中で自分自身も整理されていく。
自分の中にある火種になりかけている感情を、爆発する前に処理できているのはここのおかげだ。今日も保ててる。
ありがとうございます。
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